月の神官 9 「My family _ Your family」

 聞こえてくるのはリズミカルなノックと明るい声。
「エマ、起きてるの?ご飯持ってきたわよ」
 エマが開けたドアの向こうにいたのは、薄暗い闇の中で鮮やかに浮かぶ白い影。それはトレイを持った同僚。講和を交代した彼女。にこにこと笑顔を向ける彼女の片手と、ドアの横に添えつけてある小さな机の上。その温かなスープとパンを見て、自分達が朝以来のご飯を食べていないことを今更ながらに思い出した。
「やっぱり忘れてたわね。エマは熱中するといつもそうなんだから。こうやって食事持ってくるタイミングも慣れたもんだわ。……まぁ、貴方が食べなくても困らないかもしれないけど、お客さんはそういかないわよ? はい」
 茶化すような温かい言葉とともに、トレイを手渡す。
 片手に一つずつのトレイ。落とさないよう受け取ると、片方のトレイには薄茶色の封筒がついていることに気づいた。
「リラ、この封筒は……?」
 立ち去ろうとした同僚を呼びとめて尋ねると、彼女は「あぁ、」と呟いて戻ってきた。
「エマ宛に手紙が着てたの。どうも、結構前に届いたのがそのままにされてたみたい」
 私宛ての手紙もそのままだったわー、なんて明るく笑いながら伝えてくれる。
「そうですか。ありがとうございます」
 エマもにっこり笑ってトレイを小さく持ち上げ、リラも笑顔を返し、それぞれの部屋へと戻っていった。

 遅いのか早いのか分からない食事。持ってきた彼女が月の神官の中ではとても早起きだという事と、食事がまだ温かいところから、今はもうすぐ日が沈む時間。きっと、太陽の神官のために作られた夕食。リラはそれをわざわざもって来てくれたのだと気づく。そんな夕食とも朝食ともいえない食事、とうもろこしのスープにサラダ、そしてバケットというメニューを美味しくかつありがたくいただいた後で、エマはトレイの上に置きっ放しにしていた封筒をそっと取り上げた。
 薄茶色の封筒。それにはエマ自身一度も見た事もない程遠い町から届いた、見覚えのある封蝋とインクで書かれた文字。
 机からペーパーナイフを取り出し、丁寧に封を開けたところで食事を終えてこっちを見ていたスカーと目が合った。
「ぁ……ぇっと、友人からですか?」
 申し訳無さそうに目を伏せるスカーに、エマは軽く微笑んで首を横に振る。
「いえ、兄からですわ」
 さらりとそういったところで、自分の発言に慌てる。
「すみません……」
 慌てて謝るエマに、スカーは逆に謝ってきた。
「ぁ、こっちこそすみません。別に気にしなくてもいいですよ。むしろ……よかったらですが、エマの家族の話を聞かせてもらえませんか?」
 明るい顔で、椅子を心持ちエマへ寄せる。
「そんな楽しい話題はないですけど。よろしいんですか?」
「えぇ、構わないですよ」
 エマもそれなら休憩代わりにでもと、椅子に座って向かい合う。
「そうですわね……私の家族は、父と母と二つほど上の兄の三人です。父が町の神官で、兄は父の後を継ぐ為に頑張ってる、と手紙をくれます」
 と、ここでスカーが不思議そうな顔をした。
「手紙をくれます、って。会いにきたりとかしないんですか?」
「えぇ、私は父と母の旅行中にこの町で生まれてすぐここに預けられたという話を聞きましたが、実際家族の住んでいる町は遠いんです。相手の事を知る為には手紙のやり取りが唯一の手段。幼い頃からずっと手紙のやり取りだけが続いています。その中で一番多く手紙をくれるのは兄なんですが、兄の手紙からすると、どうも母が私を好きではないらしいです。だから、会いに来たくても母の反対で来れないとか」
 おかしいですよね、母は私の生まれたばかりの頃しか見たことないはずなのに。とにこりと笑って喋る。
「後はそうですね……おかしいといえば。手紙の中では父も母も私の事をエマと呼ぶのに、兄だけは昔から私のことをクロウと呼ぶんです。昔は何かあだ名か何かだと考えていましたけど、神殿に入る時は洗礼名をつけられるという話を聞いた辺りから、これが私に付けられた本当の名前なんだろうと考えるようになりました。ですから、幼い頃は家族の元へ戻る時は「エマ=クレア」ではなく「クロウ=クレア」として戻るんだと信じてましたわ」
 もう、月の神官になった以上そんな事はありえないに。と、小さな子供の頃の失敗談のように明るく話す。
 スカーには、そのエマの笑顔がニセモノには思えなかった。きっと、彼女自身も本心から幼い頃の話として喋っている。
 そんな笑顔を眺めながらふと考える。
 スカーの場合も、家族と距離はあった。でもそれは嫌われたわけではなく、自分から距離を置いたもの。エマの話を聞いたからといって、自分がどうこう言えるわけではない。
「スカー。そんな顔をしないでください」
 私が申し訳なってしまいますわ、と既に読み終わった手紙を封筒にしまうエマの言葉がかかった。
「ぁ、すみません……」
 考えを引き戻し、空になった食器を片付ける。
「私もおかしな話をしてしまいましたわね。すみません」
 そういいながら、エマもスカーに向き直る。
 なんとなく気まずい雰囲気。渡したトレイを片付けるエマを視線だけで追いながら、自分の家族を思い出す。
 規律には厳しかった父、自分の役目を誇らしく語った母、幼いながらも一生懸命だった弟。思い出してしまったところで、もう二度と会えないことに改めて気づく。涙は出ない。感情はひどく冷ややか。エマを羨む気持ちもない。なんだか、自分ではく他人が傍から眺めているような気持ち。
「――――それならその場所、私が代わってあげるわ」
 貴方はその印象通り、他人として眺めてなさい。スカーの耳にそんな声が聞こえた気がした。
 その声はとても嬉しそうに脅迫するもの。有無を言わさず、承諾以外の選択肢を持たず。
 そしてその瞬間はあっという間。

「それにしても、相変わらずここはいい空間ね」
 エマは背中にかけられたそんな言葉に何気なく振り返り、目の前のありえない光景に思わず動きを止めた。
 そう。それはありえない話。
 交代の鐘が近いとはいえ月は未だ青空の中に白く埋もれている。
 それに月齢はまだ三日。満月にはまだ足りない。
 それなのにどうして。
 赤い瞳を楽しそうに光らせる黒髪の少女が目の前に居るのか。

                         [To be continued later...]

月の神官第九弾です。少し家族のお話を。
ここの神官は家族が会いに来ない限り、手紙のみのお付き合い。特に月の神官は活動時間が特殊なのでさらに難しそうかも知れません。
エマのお兄さん、実は設定考えていなかったりします。w
お話の終わりが見えてきそうです。どうぞもうしばしのお付き合いを。

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