膨大な文献、作業はたったの二人だけ。
そんな中から一冊を探し出すのは当然ながら簡単でなく。簡単に数日が過ぎた。
急がないとは言わないが、毎日明るくなってから地下道を通って部屋に戻るという生活は、さすがに疲れが見えてくる。
月はどんどん欠けていき、星に消されて夜空に溶け込む。
そんな月が、再び星光から紡ぎ出される頃。
「あ」
エマは思わず自分のあげた声に手を止めた。
なんだか変な話だが、文献の一文につい声を上げ、思いのほか響いたそれに驚いたのだ。
「どうしたんですか……?」
読み掛けの本を床の上に置き、近寄ってくるスカーも彼女の指し示した一文に視線を投げかけ、「ぁ」と小さく呟いた。
そこにあったのは物語の先。幼い頃から聞き続けた、物語の直後。
『その少女は我々が見たこともない力を秘めていた。森羅万象に干渉し、操る……その力は未熟だったため、制御の方法も知らない。知ろうともしなかった。少女自身がそれを拒んでいた。……我々が依頼を受け、集ったその場所では誰一人として(それは彼女自身も含めて)少女に理解を示すものは無く……眠っている時が一番無防備とはいえ、理由も話さず拘束するとは、あの子にはとても悪いことをしたと思う。この思いは何年経っても決して変わることはないだろう。しかし、村の意向と我々の考えで折り合いを付けるところはここしかなく…………いつか、あの祠の少女は目覚める。それは我々の力の切れる時であり、少女の力が解放できるだけに弱まった時である。…………その時のために、この書を記す。これは、祠を守護する家に残すこととし、語り継ぐことを任務として命ずることにする。そして、少女が解放されたらこの書を伝える家は迎え入れ、この書を基に能力の使用法、力よりよい使い方について伝授し、少女が幸福な人生を歩めるよう、補助するよう、ここに記す』
古い文字を使って書かれたその章の書き出しは、このような文で埋まっていた。
エマもスカーも言葉がない。二人ともただぼんやり、そのページに視線を落とす。読むのではなく、ページ全体を眺める。それは景色を眺めるにとても近く。そして二人はその風景に言葉をなくした。
「……これは、あの物語の続き、でしょうか?」
長時間水を飲んでいなかったからか、渇いた喉からやっと出た科白はこれが最初だった。
「そう、ですね。いくつか物語と符合することが…………」
それから二人とも蝋人形のような時間が数秒過ぎ。
「……ぁと、うちの祠って、やっぱりこれかもしれません」
ポツリとスカーが呟いた。
そうだ。考えればその話とも一致する。ルーラ自身が語っていた話にも似ている。
その後の村の話。気候と感情が連動し、想像を現実にする少女を封印したその後に一度滅びた、現存する村。
やはり、あの推測は正しいものだったらしい。証明は目の前の書物。
しかし、スカーが知らないのはなぜか?
「スカー、この書物に見覚えはないんですか?」
本を閉じて、ぼろぼろになっている緑のハードカバーをスカーに示す。しかし、彼女はそれをまじまじと見つめて首を横に振った。
「いえ、私の家にこんな本はなかったです……紛失したんでしょうか」
珍しいものを見るようにページをめくったりしているが、やはり見覚えはないという。
数日見ていても本をよく読むと見えるスカーだ。そんな彼女が家の中で見覚えのない本、というものは本当に彼女の家の書架には存在しなかったのだろう。
「その可能性が高いですわね」
納得するように小さく呟くエマ。
「それにしても見つかってよかったですわ。正直、賭けに近かったですからね」
と、作業がひと段落した事と、この本の山から開放される安堵を感じるため息もつく。
それから大事そうに本を閉じてスカーへ手渡し、てきぱきと床に積まれた他の本の片付けを始めた。
スカーはその本を抱えてエマの仕事を見ていた。手伝おうともしたが、「間違って本を片付けちゃったら、もう探し出す自身ありませんわよ?」等と半分脅しに近い形で断られた。
そうやってちょっとぼんやりしながらも、ちょっとだけ先に進めた気がした。
手元には、緑色の本。それさえあれば、ルーラについてどうにかすることもできる。そんな安心があった。
いつもの如く鐘はとっくに鳴り終わり、日は高く昇っている。
スカーはともかくエマは太陽の光に触れることはできないので、ここ数日の日課のようにランプの明かりで照らされた地下道を通って部屋の近くへと出る。地下道から地上へ出たといっても、そこは月の神官の領域。当然真っ暗だ。月の神官の個室が並ぶ廊下は、日の光一本はいらないよう遮光カーテンが下ろされている。
眠るほかの人たちを起こさないよう部屋へ戻り、明かりをつける。
本来明るいはずのこの時間。カーテンからかすかに感じる光。こうして明かりを灯すのも、禁忌を犯さないためと分かっている。図書館に通った数日間、毎回奇妙な感じを覚えてしまう。なんというか。この空間が、世界に順応していないような違和感。
「なんだか変な気分になりませんか?」
部屋の明かりをともして回りながら、くすくすとエマが問いかける。
「ぇ?」
「なんといいますか……昼間は本来明るいはずなのに、どうしてこんな風に明かりを灯しているのか。違和感を感じませんか?」
スカーの驚きの声にも動じることなく、エマはニコニコと質問を繰り返した。それは、とても意外な質問。スカーは思わずエマを目で追う。
「確かに妙な感じはしますけど。……どうしてそんな事を?貴女にとって普通の事では?」
そうだ。幼い頃からこうやって育てられるのだ。彼女にとっては昼間外に出ることのほうが不思議ではないかと思っていた。実際はそうではないのかも、なんてありえない考えもよぎってしまう。
エマは静かに手を止め、こっちを見て微笑んだ。
「えぇ、私達にとってこれが普通ですわ。日の光に当たらぬよう。月の加護を裏切らぬよう。月の神官としては当たり前の事です。でも、私は少々おかしいのです。時々、この状態に違和感を感じるんです。私は日の光の下に居るのが正しいんじゃないか、なんて。こんなこと巫長に聞かれたら怒られてしまいますけどね」
口の前に人差し指を立ててにっこり笑いながら、残りのランプへ明かりを灯す。
全て灯してテーブルへと戻ってくる。
スカートエマは向かい合わせ。その間にあるのは、あの本。
「では、開いてみますか」
先ほどの発言は無かったようにさらりとそう告げて、エマが表紙に手をかけた。
そのまま数ページをめくる。少々崩れた文字の続く前半は、これまでの経緯や呼ばれた村までの道のり、苦労話といった旅行記のようなもの。肝心なのは後半だった。
「えっと……少女の名前は……あぁ、にじんで見えにくい……」
ただでさえ字体が古くて読みづらいのに、肝心なところでインクがにじんでいたりする。しばらくじっと見つめていたスカーは、目を押さえて本をエマのほうへ押し出した。
「少女の名前……み、にら、すか、せ…ず?」
一生懸命読んだエマもこんな調子である。二人で悩んでいると、突然ドアがノックされた。
[To be continued later...]