月の神官 3 「Place where one can be oneself」

 テアリズ家は代々、昔から伝わる祠を守ると言う役目を背負った家系だった。
 その家の子供には、額に役目を担う者であるという印が浮かび上がる。その印が現れたら、前代の守護者からサークレットを受け継ぐ。
 そういう風に続いてきた家系。この役目を誉れとし、村の中でも中心的な役割を果たす家。
 その家の長女として生まれてきたのがスカーフィアだった。

 前代の守護者はスカーフィアの母親で、守護者としてはかつて無いほどの力を持っていた。そんな母親の子供だからと、周りの人々はスカーに期待をかけ、彼女は大切に育てられた。
「大きくなったらこの子も立派な守護者になる」
 誰もがそう思って疑わなかった。
 しかし、彼女には一向に守護者としての印が現れない。そればかりか、術を行使する力をほとんど持っていなかった。
 家の皆がその事に気付いた時、弟が生まれた。
 その弟は生まれつき額に印を持っており、すぐさま守護者として祝福された。
 弟は印だけではなく、術を行使する力も十分持っていたので、家の者は色々なことを彼に教え与えた。
 皆が弟に付きっきりなので、スカーは次第に家の者と距離を置くようになった。その頃になると、彼女は術式よりも剣術に興味を持つようになっていたため、家の裏にある森へ行っては1人で剣の練習をすることが日課となっていた。

 それが数年続いたある日。
 町はとても大きな嵐に見舞われた。風が吹き荒れ、川が氾濫し、町の人々は復興に追われた。
 そんな喧騒の隙を見つけて、スカーは久しぶりに裏の森へとやって来た。
 嵐の痕は、この森にも残っている。木々が倒れ、花は散り。元通りの姿を取り戻すには、難しいような深い傷。
 スカーが森を見回して様子を確認し、いつものように練習を始めると、どこからともなく人が歩いてくる気配がした。それは大人ではなく、子供の足音。そしてその足音は、スカーの後ろで止まった。
「ねぇ、何してるの?」
 かけられた声は、同じ年の頃の少女のもの。少々大人びたような、幼さを残す声。
「…剣術」
 スカーは手を休めることも、振り返る事もなく答える。
 それでも声の主は気を悪くした様子はなく、また声をかけてくる。
「面白い?」
「……うん」
 そこでスカーは剣をしまい、その少女の方を振り返った。
 少女は今までこの辺では見たことのない子供だった。
 綺麗な黒い髪は背中へ無造作に流してあり、腰の辺りまで伸びている。服装もどこか制服のように見える深緑の上着、膝下までのスカートに編み上げのブーツ。
 そして何と言っても一番印象的なのは、刃物のような紅い瞳。
「ねぇ、名前、何て言うの?」
 と少女は同じ調子で訊ねてくる。
「わたしはスカーフィア。スカーフィア=テアリズ。貴方は?」
 まだ警戒心の残る声にも、少女は相変わらずの声で答える。
「私はルミニエラ。ルーラって呼んで」
 そう言ってルーラは握手を求め、手を差し出してきた。
 スカーもそれに応じる。
 ルーラの手に触れた瞬間、スカーは驚いた。
 手がとても冷たい。まるで、血が通っていないかのように。
 でも、それは一瞬。その手はすぐに離された。
「ね、スカーフィア。一緒に遊ぼう」
 ルーラはスカーの驚きなどお構いなしに誘う。
「この奥にね、綺麗な広場があるの。行かない?」
 腕を後ろに軽く組み、少し顔を傾けてスカーを誘う。
 そう言えばここしばらく、人と遊ぶことなど無かった。
 だから、その誘いは彼女にとってとても嬉しいものであり、すぐさま是の返事を返して森の奥へと進んでいった。

 その日からスカーとルーラは一緒に遊ぶようになった。
 時には剣術の腕比べをしたり、ルーラの話を聞いたり、木の実を拾ったり、本を読んだり。
 色々なことをした。
 スカーが特に好きだったのは、剣術とルーラの話を聞くことだった。
 ルーラの剣術は我流なのにスカーが勝てるかどうかというほど強かったし、色々なことを知っていた。海の向こうにある国の事、世界のこと、生き物のこと、昔のこと。スカーはたくさんのことをルーラから聞き、学んだ。
 そうやって2,3年過ごすうちに、スカーは世界を見てみたいと思うようになった。
 こうやって森の中で話を聞くだけでなく。自分の足で歩き回って、目で確かめてみたい、と。

 

「ねぇ、ルーラ。わたし、旅に出ようと思うんだ」
 澄み渡る青空と、新緑の木陰の下で、スカーはルーラにこう告げた。
 それは2人が出会ってから5年後のこと。
 二人とも、16歳になっていた。
「へぇ、それは良いね」
 ルーラは空を見上げながら答える。
「でさ、ルーラ、一緒に行かない?」
「………?」
 彼女は驚きと疑問が混じった表情でスカーの方へ顔を向けた。
「…ダメかな…」
 しばらくの沈黙。小鳥が2人の頭の上を飛び過ぎる。
「……私、行けない」
 ルーラは寂しそうにそう答えた。
「ゴメンね。私は私の意志でこの森から離れることはできないの」
 彼女の瞳にある刃物のような輝きが弱くなる。
「そっか。それじゃぁ仕方ないね」
 はじめからいい返事を期待していたわけではない。あっさりとあきらめ、納得する。
「でも、世界は聞くよりも見てみた方がずっと面白いと思うよ」
 ルーラは楽しそうに言葉を繋げた。
「いろんな人に会って、いろんな話をして。私もまだ行った事が無い所とか、知らない事とかがいっぱいあるんだもん。世界はとても面白いよ」
 しかし彼女は、楽しそうな言葉の力を損なうような、虚空を見つめる目をする。
 そんなルーラを見て、スカーは決意を固めた。
「わたし、1人でも行ってこようと思う。ルーラは、待っててくれる?帰ってくるから」
「うん、もちろん」
 そうして、スカーの旅立つ日が来た。

 深夜。空には不気味なほどに黄色い満月。
 スカーは旅支度をして、自室の窓から庭へと降りた。
 荷物は服と食料、使い慣れた長剣が1本。お金と小物。それだけだ。
 家族に告げて出て行くつもりは無い。ここ数年、親とは食卓以外で話した記憶がない。それなら告げる必要もないだろう。
 大体、自分一人いなくなったって、彼らには弟がいる。
 幼い時から守護者として皆から見守られ、祝福されている弟。そんな彼らとは自分から距離を置いたのだ。今更、出ていったところで変わりはないと思っている。
 それでも。
 多少の心残りがあった為、机の上に『いつか帰ってくる』と一言。
 それだけを残してきた。

 村から街道への出入り口の所まで来ると、一つの人影があった。
「ルーラ」
 スカーはその影に呼びかける。
「……」
 片手に長剣を携えたルーラは、何も言わずに軽く片手をひらひらと振る。
「わたし、行ってくる。ルーラは…やっぱり一緒には行けないんだよね」
 確認をとるような軽い気持ちで投げかけた一言。
 それには思ってもいなかった返事が返ってきた。
「うん、『私の意志』じゃぁここから出られない。でも、実はね、『私以外の者による意志』だったら、森だけじゃなくて、この村からだって出ることができるんだ」
「『ルーラ以外の者による意志』……?」
「そう」
 ルーラの顔は満月の逆光で見えない。
 でも。スカーには彼女が笑っていることが分かった。
 スカーに迷いは無かった。
 だから、何も知らないまま彼女に手をさしのべた。
「行こう。これはルーラの意志じゃなくて、わたし、スカーフィアの意志。ね、一緒に行こう。その方が楽しいよ」
「ええ。貴方の意志なら、私はここから出ていくことができる。感謝するわ。一緒に世界を見て回ろうね。それと。 一つだけ、私もすることがあるの」
「うん、いいよ。手伝う」
 ルーラが空を見上げる。
 空には満月。
 星の光は満月に押されて姿をほとんど見せていない。
「―――― 良い月ね」
 何の脈絡もなく、ルーラはぽつりと呟く。
 そうして、スカーの方を振り向いたルーラは笑みを浮かべた。
 今までに見たこともないような、冷たい笑み。
 スカーはその笑みから目が離せなくなった。背中に冷たいものを感じる。
「私のやるべき事に、協力してもらうわ。スカーフィア=テアリズ」
 彼女は近づいてくる。
「貴方は実に都合のいい人だったわ。なにせあのテアリズ家の長女だもの」
 呟いて、もう一歩。表情は笑み。スカーは声が出ない。
「私を分割して封印した、末裔のひとつ」
 距離が縮まる。
「ね。私の復讐に、協力してちょうだいね」
 ルーラがぴたりと足を止める。2人の距離は1mほど。
 間近で見るルーラは背に満月を背負い、禍々しくも、神秘的に見えた。
「ふ…く、しゅう?」
 やっとの事で声を出す。
「そう。復讐」
 笑顔で紡がれたその言葉で。スカーは新月に魅入られた。

                         [To be continued later...]

月の神官、ちょこっと過去編です。
スカーの家庭状況と出会い、旅に出たきっかけはこんな感じです。
今回はスカーの視点から。ルーラの視点からもありますが、それはもうちょっと先の話。もうしばしお待ちくださいませ。

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