「――――数日後に目が覚めると、そこは3つ先の宿場でした。そこで、私の村が何者かによって滅ぼされたという事を聞いたんです」
遠い空の裏側を眺めるように。スカーはそれが全く別の物語であるかのように呟いた。
「それは、他の者の仕業、とかではなかったのですか?」
それでも物語でないことを証明するのは、質問に対する淀みない返答。
「はい。何とかして逃げてきた人から話を聞きました。見たことのない剣を持った、黒い髪に紅い瞳の少女だったと。そして、守護者はどうして私達を守ってくれなかったのかって責められましたね」
彼女はさらに話を続ける。
「それから本名は滅多に人に明かすことなく、偽名で旅を続けてきました。テアリズ家の者だと分かったら、『祠の封印が解けたのに何で気付かなかったか』とか、皆に何を言われるか分かりませんから」
私には何の力もなかったのに、とぽつりと付け加える言葉は、己の無力を諦めきったもの。
エマはかける言葉を見つけ出すことができないまま話を聞きながら、開いた記帳の白の上にダークブルーのインクを付けたペンでさらさらとそれをまとめていく。
整った字が記帳の上に列をなしていき、ページがいっぱいになったところで手を止め、スカーの方へ顔を向けた。
「質問しても、よろしいですか?」
「はい、どうぞ」
「その、ルーラの『復讐』とは何なんですか?」
スカーは少し言葉に詰まったが、意を決したらしく、再び話し始めた。
「ルーラはきっと、わたしの家、テアリズ家が代々守ってきた祠に封印されていた者だったんです。それがきっと、――― あくまでわたしの推測ですが ――― 嵐で壊れたのでしょう。弟は力は持っていても、正式な守護者として証を受け取るにはまだ幼かったし、祠も壊れてしまった。だから、彼女は封印から目が覚めて。そうして、自分をそんな目に遭わせた者達を許せなかった。そのための復讐だと思います」
と、ぽつぽつと言葉にする。
「終わりはきっと、彼らの血を全部、消してしまうこと」
そう付け足したスカーの声はひどく悲しそうだった。
それは友人だと思っていた少女が自分を利用していることに対するものなのか、はたまた別の理由か。とはいっても、理由なんてエマには分からないし、たとえ分かったとしても、何も言えないことだけは確かだった。
だから、エマは機械的に質問を続ける。
「それでは…貴方が家を出たのは、いつ頃ですか?」
「もう、1年くらい経ちます」
「先程、『者達』とおっしゃいましたね?」
「はい、テアリズ家がその祠の監視を買って出ただけで、実際は複数居たらしいです」
「なるほど……では、彼女が見つけた末裔の数は?」
「彼女はそういうことをあまり教えてくれないので、数は分かりませんが……滅ぼしてしまった町や村は3箇所です。でも、探すのには手間取っているようでした」
では、この間の満月の晩が4番目の日だった可能性もあるということか。と、彼女自身が気付かないほど小さな片隅でひどく冷たい考えも浮かぶ。
「ところで、どうして満月の夜なんでしょうか?」
「それは、彼女の力は月の満ち欠けが影響するんです。彼女の力が最も強くなるのは満月の日。だから、満月の日はいつの間にか入れ替わっています」
「じゃぁ、もう一つよろしいですか?」
記帳のページをめくりながら、質問を続ける。
「なぜ、ここに?」
「……?」
唐突すぎる質問だったためか。きょとん、とエマに視線を向けるスカーには質問の意味が分からないようだった。
「あぁ、失礼しました。じゃぁ、ちょっと回り道を致しましょう。貴方はルーラと意志の疎通はできるのですか?」
「はい。入れ替わった後は彼女も眠っているのでしばらくできませんけど…」
「じゃぁ、入れ替わっている間の記憶は?」
「…ありません。彼女が現れるのが満月の夜だけだったとしても、身体の負担が大きくて数日眠り続けます。わたしの体力回復のほうが早いのですが、気が付いたら何日か経っていることがほとんどです」
「そうですか…では、先程の質問です。貴方はルーラと意志の疎通ができる。それなら、自分たちで話し合って出ていかせることも可能かもしれません。無理だったとしても、ルーラを払うだけならそれを専門となさっている方に頼むこともできます。それなのに貴方はなぜ、この神殿へといらっしゃったのですか?」
ようやく彼女は意図を分かってくれたようだ。
悪魔を払うだけだったら、神殿よりも腕のいい人はる。それなのに、スカーはなぜここに、この神殿に来たのか。
「確かに…悪魔を払うだけだったらいろんな方が居ます。でも、これはただ払うだけではいけない気がするんです。意識も記憶もない事とはいえ、村を滅ぼしているのは私自身です。それに、簡単に彼女を消すなんて……」
そこでスカーの声は途切れてしまった。
きっと彼女は「自分がやったことではないから」と割り切ることができなかったのだろう。たとえ割り切れたとしても、気が付けば自分は血で真っ赤に染まっている。そうして話を聞くと、記憶の最後にある村が何者かに滅ぼされたという。こんな事が続くと気も参るというものだ。
そして、ルーラ。彼女はスカーにとって唯一の友人と呼べる人物だった。簡単に切り捨てるなんて、できないのではないか。
「それで、ここへいらっしゃった。そういう事ですわね?」
スカーは小さくはっきり、こくりと頷いた。
神殿内にある鐘が鳴る。それは、月の神官と太陽の神官の交代時間。
つまり、もうすぐ夜が明ける。
「もうこんな時間ですか…。スカー、貴方はどうなさいますか?」
エマは、鐘の余韻が終わると同時にぱたりと記帳を閉じ、目の前に座るスカーに声をかけた。
「え…どう、するか、ですか?」
「ええ。私たち月の神官は太陽の光に触れることはできません。それが禁忌です。ですから、日が出ている間に眠ります。次に私たちが目覚めるのは日が落ちた後です。それまで時間がありますが、貴方はどうなさいますか?」
スカーは「はぁ…」とあっけにとられたような返事をし、困ったように答える。
「じゃぁ、わたしも夜に起きておくことにします…っていっても、わたしが目覚めてそんなに時間が経って無いし…」
なにやら寝るにも眠れないようだ。と、視線を泳がせるスカーの様子からエマも少し考える。
「それなら、図書館の方へ行かれては如何ですか?時間を潰すには最適だと思いますけど」
図書館と聞いて、スカーの目が輝いた。
「図書館…はい、そうさせてもらいます」
「それなら、そこまで案内いたしますわね」
神殿の図書館は大きい。
教典はもちろん、各地の伝承や歴史書、学術書から大衆向けの本まで、何でも揃っている。
特にこの神殿の図書室は変わっていて、なぜか他の宗教の教典だってある。そしてそれは、この神殿の古くからの蔵書。だから広さも相当なもので、別館3階建てが丸ごと図書館。
その近くまでスカーを送り、自分は日が昇る前に、と急いで部屋へと引き返した。
先ほどの個室に隣接された小部屋。神殿内の統一を乱さない真白の壁、小さな窓には遮光カーテン。文机、本棚に洋服ダンス、それからベッドという、必要最低限の日用品で構成されている部屋。これがエマの個室。
幼い頃から暮らし続ける巣箱のような自室で寝巻きに着替え、ベッドに腰掛ける。そこでぼんやりと今日の出来事を考え、反芻する。
今夜は信じられないような話を聞いた。
今でも信じられるか、と言われると簡単に是とは言えないかもしれない。
人が容姿から変わるなんて初めての事だし、考えてもいなかった。しかもそれが、最近噂になっている出来事の中心人物らしい。そしてその人物は、己に助けを求めてくるという、奇縁。
「私は…スカーを救うことができるのでしょうか…」
日が昇る前の、藍色の闇に向かって、ぽつりとそう、問いかける。
しかし、答える者などそこには居ない。ただ1人の白い空間。
カーテンを閉め、一つため息をつく。
「救う」と改めて呟いてみたところで、そのことを真剣に捕らえないばかりか、まったく逆のことを思う自分が、一瞬だけ、自覚ができないほどに少しだけ、白い闇に浮かぶ。
そうして、気になることがもう一つ。
ルーラが残したあの科白。
「私の名前の…意味…。本当の居場所…」
しかし、そこを深く考えるより先に、エマの意識は眠りについた。
[To be continued later...]