月の神官 5 「In the grip of a ……」

 満月の前後は、同じ夢を見る。
 毎回毎回寸分違わぬ繰り返し。家を出てからいつもそう。
 その空間はただただ真っ暗で。光の一粒も入らない。それなのに、自分の姿ははっきりと見える。だから、これは夜の暗闇なんかじゃなくて夢だ、なんて簡潔で適当な理由を付ける。
 そこで聞こえる音は数えるほど。自分の吐息、鼓動、声。そして手足を動かすと奏でられる、じゃらりという重い音。あぁ、わたしは戒められているんだ、と嫌でも思い知らせる音。温度はそんなに低くないのに、息は白い。はぁ、と吐き出せば白が闇にさっさと溶け込む。あまりにあっという間で、自分の実感が持てない。存在感薄いなぁ、なんて白いため息を繰り返す。そしてその度に自分が薄くなるなんて、とんだ悪循環。
 そんな時はじゃらりじゃらと。金属のぶつかり合う重い音で自分を支える。そうすることで、ようやく自分を繋ぎ止める。
 こんな空間でわたしが抱く感情は常にマイナスに傾く。それはゆっくり。転がり始めたものは底に着くまで止まらないように。少しずつ速度を上げて。
 淋しい、怖い、暗い、助けて、誰か。どうして、いや理由は分ってる。嫌い、きらい。なにもかも。こんなのいらない。誰か、来て、声を聞かせて、名前を呼んで。出して、だして。ねぇ、早く。こんなのもう嫌――――……あぁ、もう、いい。何も考えなければ。何も望まなければ。ここから先、わたしは進めない。しかたない。これはわたしだけではどうしようもなく。人によって閉ざされたもの。どんなに望んでも、無駄。望んじゃだめ。希望を持てば、あっというまに堕とされる……。

 次の晩。戸を開けて一番に目に入ったものは、本が数冊積み重なったテーブルと、その中の一冊枕に寝息を立てる少女の姿。その寝顔はなんだかあどけなく。淡い髪はさらさらと呼吸に合わせてゆれる。
 彼女は一体何時に寝たのだろう?
 そんな事を考えつつ、彼女に近寄る。積み上げてあるといっても冊数は少ないその本は、呪術、剣術、伝承とまるで秩序がない。しかし、そんな本の上ですよすよと寝息を立てる彼女にはそう違和感はなかった。神官の家系であり剣術を技とする。これはとても珍しいことだが、彼女の話を聞いてそうは感じなくなっていた。そういえば長剣を二本持っていた。あれは二刀流なのだろうか。それとも……。
 と、ここまで考えをめぐらせた所で白い壁を伝って天窓の月まで昇った視線を彼女にもどし、風邪をひいたらいけないと揺り起こしながら声をかける。まだ寝たいようなら、自分のベッドかその隣の個室を貸せばいいだけの話だ。
「スカー、もう夜ですわ。お起きになりますか?」
 そう声を掛けると、彼女はあっさり起きた。
「ぁ……おはよう、ございます」
 その割に。挨拶もさながら、まぶたも半分落ちた眠り足りないと訴える顔。その頬には見事、枕にしていた本の題文字の跡が付いている。それを見つけてしまったエマは、思わず笑いそうになったのを必死でごまかす。視線は再び月へと上る。冷たい月光である程度落ち着きを取り戻し、彼女に向き直る。
「私は今から日課の祈りに礼拝堂へ行ってきます。スカーはまだお眠りになりますか?」
 その質問の答えは、少々奇妙なものだった。
 目が泳ぎ、窓の外へ焦点が当てられる。それから遠い記憶を思い出すような間。そうしてやっと答えが返ってきた。
「いえ、せっかく起こしてもらったので、起きることにします。私はここで本を読んでますから、どうぞ行ってきてください」
 彼女の顔はなんだか弱々しく、悲しい思いをしたような笑みを精一杯明るくして向けたものだと感じたが、それにはまだ触れないほうがいいと判断したエマは、個室を後にした。

 本を読みふけるスカーを部屋に残し、エマは礼拝堂へと向かった。
 いつもの通り蒼と白の礼拝堂での祈り。同じ祝詞、動作。幼い頃から毎日欠かさず続けてきた祈りを捧げ終わると、後ろから声が掛けられた。
「エマ、お願いがあるのだけど、良いかな?」
 振り返った先には、一番年の近い神官。背中で束ねた白い髪に白い肌、そして人懐くうごく赤い瞳。この神殿の中では珍しい色彩であり、黒い神官服がその白さをいっそう強調させる少女。
「はい、なんでしょう?」
 幼い頃からの付き合いである少女にいつもどおりの笑顔を向け、問い返す。
 彼女の話によると、今までは夜に出歩く人が極端に少なかった為に中断されていた、子供への講話を久々にすることになったらしい。ただし、危ないのは変わらないため、時間は早めに。講話と言っても、子供向けのものなので伝承などを読みきかせるというのがその主だ。
 しかし彼女はしばらく忙しいため、その間だけでも代わって欲しい、と言うことだった。
 断る理由は特になかったし、正直ルーラが目覚めるまで事態は何も動かない。だからエマはそれを快諾し、それをスカーへ伝えるために部屋へと急いだ。
 エマが新たに入った仕事の事を話すと、スカーも快く承諾してくれた。
「じゃぁ、しばらくここで本を読ませてもらってもいいですか?」
「えぇ、一向に構いませんわ。それでは、スカーはしばらくここに滞在する事になりますわね」
 スカーはその一言で、初めて気づいたように目を丸くした。
「……そうでしたね」
 すこしばかりうつむいて呟いた言葉に、くすくすと小さく笑いながら奥の扉を示す。
「あそこが私の個室になっています。その隣にあるのがもう一つの個室に繋がる扉ですので、そちらをあなたの部屋としてしばらくお使いください。中にあるものは自由にどうぞ。足りないものがあればお申し付けください。すぐに準備いたしますわ」
 簡潔ながらも必要事項をスカーに伝え、エマは講話をするための本を探しに部屋を後にした。

 

 子供への講話を始めて数日。スカーの生活がエマとそろってきた頃。
「あの」
 講和をするための本を確認していたエマに、そっとスカーが声をかけた。
「はい、なんでしょう?」
 手をしおり代わりに本の上にあて、声のかけられた方へと振り返る。
 スカーはなんだか思案顔でエマの後ろに立っていた。そうして、ためらったように口を開く。
「あの、この間借りてきた本を読んでしまって、一段落ついたんです。それで、その夜の講和を私も聞かせてもらっていいですか?」
 本を借りに行ってもいいのだけど、その講和も聞いてみたいんです、と続く言葉がどんどん小さくなっていく。小さい子供に混じって聞くのは照れ臭いというのもあるのだろう、なんて、エマは微笑ましい視線をスカーへ向ける。
「えぇ、構いませんわ。参加は自由ですから」
 と、本を片手にスカーを促し部屋を出る。
 相変わらず闇を強調させる白い廊下に、足音だけが響く。
 時折窓から見える半月は、割と低い位置に見える。まだ時間は遅くない、夜はこれからだという、小さく心が躍るような時間。
 その為か、部屋で待っている子供達は昼間に遊びまわったことも忘れるくらい元気だった。
「お姉ちゃん、早くお話読んでー」
「今日は何読むの?」
「ぼくね、かっこいいお話がいい!」
 等々。展開される物語に期待した子供達が口を開くとキリがない。
「分かりましたわ。今から、お話致しますわね」
 子供達を宥めながら本をテーブルの上に置き、手をたたく。その音はあっという間に子供達の口を封じる魔法のように伝播する。自然とおとなしくなった子供達を座らせ。エマはその中心の椅子に、スカーは離れた窓辺へと位置を定める。
 視線が集まる中、スカーは慣れた手つきで本のページをめくり、よく通る声で読み始める。
 それは、彼女自身も幼いころから聞いてきた昔話。
 この国に、古くから伝わる物語。

                         [To be continued later...]

月の神官第五弾です。
彼女達はこんなお仕事もやっているのです。聖誕祭や新年といった節目のお祝いにも、伝承を聞かせます。もちろん、太陽の神官もそれに見合うようなお仕事、つまり休日のミサなどやってます。
さて、次は昔から伝わる物語です。私達の竹取物語のような場所に位置するお話。
まだ彼女達のお話は続きます。もうしばしお付き合いくださいませ。

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