月の神官 12 「Reason and decision」

 白い壁に映るのは、二人分黒い影。
 壁を背に座り込んだ少女と、向かい合うように立った少女。時折光る稲妻が、より一層二人の影を黒く映す。

「何を根拠に……」
 ルーラはうろたえかけた瞳を細め、追い詰められたはずなのに穏やかな瞳を見据える。
 そう、自分は彼女を追い詰めた。目の前の神官にはもう、後ろなんて無い。前には自分。後ろには壁。そして横には彼女の――ルーラの剣。
 なのに。何で自分がこんなに焦って。彼女が落ち着き払っているのか。
 そんな感情が湧きあがる。それは悔しさか、殺意か。それとも安堵か。否、どれでもない。これは苛立ちに似た感情だと否定して、追い詰めたはずの少女、エマを見下ろす。
 彼女の瞳は真っ直ぐ赤い瞳を見つめ返し、落ち着き払った様子で口を開く。
「目、ですわ。その色は本当に望んでいるものではなく、諦めた者が持つ色です」
 一層目つきがきつくなるルーラから視線を外さずに「それに」と続ける。
「これは私の推測ですが……貴方は少なくともスカーには嫌われたくなかった。違いますか?」
 その返答は長くて短い沈黙。それから、沈黙を破るくだらないといわんばかりの笑い声。
「はっ。あの子に私が嫌われたくなかった? どうしてそんなワケノワカラナイこと考えるの? いい? 私はあの子を利用して町を滅ぼした。帰る家を消し去った。あの子のこの手で、家族を殺した。家族だけじゃないわ。町の人だって、顔も知らないような土地の村人達まで、全部。万が一にでも好かれようなんて思ったら、こんな事しないわよ?」
 それは貴方にも言える事かしら? なんてどこか焦点のずれた目でくすくすと笑う。
 それでも、エマの瞳は崩れることなく見つめてくる。
「では、一つお尋ねしますわ。どうしてそんなに淋しそうな顔をなさってるのですか?」
 笑いが止まった。そして鸚鵡返しに呟く。
「淋しそう?」
「えぇ。私にはどうしても、貴方が強がってるようにしか見えませんわ」
 ひるむ事など無く、まっすぐに。普段の自分だったら震えているかもしれない手を、そっと握り締めて。もしかしたら恐怖なんてとっくに限界を超えているかもしれないと小さく思いながら言葉を続ける。
「スカーに聞かせてもらった話を考えると、貴方は彼女を殺そうと思えばすぐにできたはずです。二人きりの機会なんてたくさんあったのでしょう? それなのに今の今まで生かしてきた。貴方はスカーと数年間友人として過ごした事で、殺せなくなったのではないのですか?」
 赤い瞳が少しだけ揺れた。それでも崩れる事は無い。
「封印した7人の術者の名前を全て記憶していましたわね。貴方のその記憶力なら、スカーが自分の仇だとすぐに気付いたはず」
 なのに、なぜ? と。
「それは力が足りなかったから……」
「では、力がある時に他の人を寄り代にすればよかったのではないですか? 血を一つでも減らすことが目標なのでしょう?」
 それは第三者から見た、客観的な意見。とても冷たくて、正当な。
 そう。彼女を封印した者達の血を絶やすなら、真っ先に標的にされてもおかしくないのがスカー。家から離れ、たった一人で森の中に居たのだ。それは人の目に付きにい。そして、そんな場所で二人は出会い、そして旅立つまでの数年間を共にした。
「どうして貴方は彼女を生かしたのですか?」
 彼女を使って殺す事で絶望させ、苦しませるため?と小さく尋ねる声に答えは無い。
「そして、私もそうですわね。貴方がそんなに憎む末裔の一人ならば、名前を知った後に殺すこともできたはずです」
 例えば子供たちへの読み聞かせの後。スカーと一緒に調べ物をした図書館。チャンスはいくらでもあった。たとえ剣が無かったとしても、素手だって人は殺せる。と、エマは静かに伝える。
「私は別に体術を心得ているわけではありません。幼い頃から身を守る程度なら学んでいますけど、それではたかが知れているというものです。見る人から見れば隙だらけ。違いますか?」
 壁を背に座り込んで話すエマ。その横に突き刺さる剣。そしてその前に立ち尽くすルーラ。彼女の表除は逆光でよく見えない。雷鳴の光る空は雲が切れ、星の力に圧されるほどの月が覗く。それはとても奇妙な光景。広がる星空の中に雷があるのか。雷の合間に月があるのか。ともかく。それはとても複雑で幻想的。
 雨は既に止んでいる。
「じゃぁ、殺せばいいのね?」
 小さな言葉が聞こえたのは、月明かりがルーラを照らしたその時。
「貴方も、スカーも。私が。今、ここで」
 それでいいんでしょ?と彼女が顔をあげる。窓から吹き込んだ風がなびかせた彼女の髪の合間から向けられた瞳はただただ冷たく、空ろで。彼女の表情はとてもとても冷たい笑みを浮かべていた。背後には音の無い雷光が走る月空。星の見えないそれは、嵐の前を告げるかのようにしんとしている。

 ルーラの雰囲気ががらりと変わる。これまでの混乱を喜びに変えて。
 自分の復讐はこれで全て終わるかのような、空ろな喜びを持った瞳。そんな目で。
 そして彼女は壁の剣を引き抜く。それは異国の伝承のように。剣が彼女を主と認めた瞬間であるかのように音も無く抜けた。
「さ。お望みどおり殺してあげるわ。覚悟して頂戴?」
 今度こそ。
 その剣先は真っ直ぐに。エマの心臓めがけて差し出された。

                         [To be continued later...]

月の神官第十二弾です。
しばらく間があきまして。久しぶりの更新でございます。
さ、エマちゃんピンチです。次回は殺されてしまったりするんでしょうか彼女。
無事に最後まで行き着けるんでしょうか。これ。
締め切りも設けられたことですし、しばらくはこれを書きます。はい。w
と、いうわけでもうしばらくお付き合いくださいませ。

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