四月の話。

 世界には、迷い込んでしまうような隙間がある。
 そこに迷い込んだ人は、帰ってきたりこなかったり。
 人はそれを、神隠しと呼んだりもする。

 □ ■ □

 狭間の空間。その一つ。
 そこにあるは東洋建築に似た建物。
 そこに居るのは、たった二人。

 一人は少年。名前は黄香。
 青みがかった銀髪に、黒い瞳。12,3ほどに見える幼い身体にはサイズが合わないように見える緑の服。これもまた、同様に大きな帽子。手には黄色い手袋。全てにおいてサイズが大きいそれらは、少年の身体の小ささを一層強く印象付ける。
 少女のことは「青蘭」と呼ぶ。時折、そう読めるはずは無いのに「せーりょん」と呼ぶのは、如何なることか。

 一人は少女。名前は青蘭。
 少年よりも年上に見える彼女は、長い銀の髪を結うことなく背中へと落としている。髪に飾られるのは、赤い花飾り。そしてそれと同色の瞳。桃色に黒を合わせた服は、細身の身体に丁度よく、年相応に見せている。
 少年のことは「師匠」と呼ぶ。何故かは――また、何時かの機会に。

 そして、そこにやってくるのは、知識を求める者・導を求める者・迷い込んだ者・世界から何らかの理由で追放されてしまった者。
 今回は。
 ――導を求める者。

 □ ■ □

 季節は春。まだ冬めいた風が吹き込むこともあるこの季節。
 淡い色の花が咲く庭が見渡せる部屋で、本を読んでいた二人。
「――せーりょん、お茶を用意してくれるかな?」
 突然本の頁をめくる手を止めて、黄香が青蘭に声をかけた。
「ぇ? あぁ、はい。お茶ですねー」
 慣れた動作で席を立ち、台所へ向かおうとする彼女の背に、黄香はもう一言声をかけた。
「4人分ね」
 青蘭の足が一瞬止まり、「4人?」と小さく反芻し、納得したように頷き、少しだけ嬉しそうに台所へと姿を消した。

 青蘭が台所へ姿を消して数分後、小さく響いたのは来客の鐘。
 そんなの予想済みと言わんばかりに自然な動作で席を立ち、庭へと出た黄香の視界に入ってきたのは、一組の男女。
 何処か無表情な少女と、人懐こそうな笑みを浮かべた少年。
「いらっしゃい。遠いところからようこそ」
 ここに時折訪れる人々は、此処に住む自分達へ用がある場合が多い。なので、話を聞く個室へ先ずは案内するのが、常。今回も例に漏れず、いつものように挨拶を交わし、部屋へと案内をする。
 それぞれの部屋へと向かう途中の廊下では、青蘭がお茶を乗せた盆を持って立っていた。
「はい、師匠。こちらが二人分ですね。部屋は奥の方をこの間片付けたのでそっちに行ってくださいね」
「ありがとう。では、貴女はこちらの青蘭と一緒にどうぞ。貴方はこちらへ」
 盆を受け取り、視線だけで指し示して先へと進む黄香。
 客人である少年は、少女に向けてにっこり笑った後、目の前を進む少年の背を追いかけた。

 □ ■ □

 Side:黄香

 少年の年は、青蘭と同じくらいだろうか。
 そんなことを考えながら、廊下を歩く。
 服装からして、東流大陸の出身かなと思わせる濃紺の服。
 茶色の髪に、同色の瞳に人懐っこい笑み。
 しかし、人懐っこいからといって簡単に人に立ち入らないような。青蘭と同じような目だなぁ。と。
 視界の隅で少年を見て、そんなことを考える。

 そうするうちに、部屋の入り口へとたどり着いた。
「では、ここでお話しを聞かせてもらいますね」
 軽く少年へ確認を取り、戸を開ける。
 そこは小さな部屋。
 書斎のようにも見えるそこには、丸型の机と二脚の椅子、それから本棚が並んでいた。
 盆を机の上に置いて、どうぞ、と席を勧める。
 少年はどうも、と笑顔を向けて席に着く。それを見届けて、黄香も向かいの席へと座り、少年へと笑いかけて話を切り出す。
「では、お話を伺いましょうか」

「とりあえずそうですね。名前と、どうして此処に着たか、辺りから」
 黄香が話を振ると、彼はちょっとだけ考える仕草をして口を開いた。
「えっと。僕、燈 楊痲といいます。此処に着たのは……尋ねたかったから、かな」
 手を暖めるように、お茶が注がれた器を包んで言葉を選んでいく。
「僕の家では、父が結婚にうるさくて……それで連日見合いをしろと写真を持ってくるんです」
 それはもう、大量にですねー、と笑う少年。
 黄香も、それは困りますねー、と一緒に笑い、続きを促す。
「それで。自分で決めると家を飛び出して、此処まで来ようと思ったんですが……。正直、分からなくなってしまったんです」
 分からなく? と、黄香が首を傾げると、楊痲は一つ頷いて茶碗に口をつけた。
「途中で彼女と出会って。目的地が一緒だからって同行するようになって……」
 黄香は少年を見たまま、お茶に口をつける。
 青蘭の注れたお茶は、相手の話を自分の中へすんなりと入れてくれる。文化が違っても、背景が違っても。これのおかげで自分は安心して相談を聞けるんだな、とこっそり感謝をしつつ、話の続きを待つ。
「僕は、迷ってるんです。彼女のことをただの同伴者としか見ていないのか、それとも、自分で探すと父に言った結婚相手として見ているのか」
 ふむ。と、空になった器にお茶を注いで湯気を吹く。それを軽く眺めて、黄香は楊痲へと視界を移した。
 視線をずらしたままの少年は、ただじっと、判決を待つように器の水面を見つめている。それは、実は自分の外見よりも年下ではないかという錯覚を覚えるような、自信のなさそうな顔。
「ぇっと」
 小さく声をかけると、少年はぱっと顔を上げた。
「考えてみたらどうかな。此処でお互いがそれぞれ答えを出して。此処から先、違う道を歩んでいく。もう、二人とも会う事も無い。君にも、彼女にも、いい伴侶が見つかる」
 君はそれで幸せになれそう? という言葉に、少年は再び視線を落として「分かりません……」と呟いた。

 その返事に黄香はにっこりと笑いかけ。
「では、とりあえず3日間。二人とも離れて過ごしてみるとか?」
 そしたら少しは分かるんじゃない?
 軽い気持ちで。そう、提案した。

 □ ■ □

 side:青蘭

 ちょっと、難しそうな人かも。
 これが青蘭が彼女に抱いた第一印象だった。
 腰まで伸びた黒髪は、緑為す、というよりも紫に近い印象を与える。
 そこから覗く左目もまた黒く、その視線は何か警戒されているのではという不安を覚えたくなるほど冷たい……気がする。

 部屋へ通して席とお茶を勧めると、彼女は「ありがとう」と言葉少なく受け入れてくれた。
 青蘭も席につくと、黄香と同じように話を切り出した。
「先ずは、お名前と、此処に着た理由、聞いてもよろしいですか?」
「名は、昂葵。理由は……己について知りたかったから」
 言葉が少ないのか、それとも警戒のためか。
 簡潔に述べられた言葉に、青蘭は「己について、ですか?」と、軽く首を傾げた。
 昂葵と名乗った少女は、しばらく青蘭をじっと見た後、意を決したように目を伏せ、右目にかかっていた前髪をどけた。
 開かれた瞳は、赤。
 黒と赤の瞳に、青蘭は思わず息を止めた。それを見た昂葵はそのまま髪から手を離し、右目を再び覆った。そして、ぽつりと口を開く。
「私は幼少から化け物だと云われてきた。この目の色は、人外のものだと。人と関わると、厄災が降りかかるなど、聞き飽きるほどに聞いてきた」
 綺麗な目なのにな、と青蘭は小さく思ったが、それはお茶と一緒に飲み込んだ。

 その代わり、少しだけ納得をする。
 難しいなんて事、無かった。
 何処か警戒するような視線、何処かぶっきらぼうな口調。
 まだそんなに時間がたってないから確証は無いけど。
 彼女の目はとても綺麗だから。そう思った。
 それはきっと、他人を遠ざけるため。
 彼女なりの防御であり、優しさなんじゃないかな?

「大丈夫ですよ。昂葵さん」
 そう言って、にっこりと笑う。
「その目の色が持つ意味は、今此処で言うべきことではないですが。少なくとも周囲に厄災を振り掛けるようなことはありませんよ」
 答えになってなくて申し訳ないですけど、と青蘭が笑いかけると、昂葵はしばらく目の前の少女を見た後「そうか」と笑った。

 そのまましばらく二人でお茶を飲み、空になった器へお茶を注ぎながら「そういえば」と、青蘭が口を開いた。
「一緒にいらした、あの方は……お知り合いですか?」
 此処には違う時間に来る人が一度に会することもある場所。
 そんなふとした疑問に、昂葵は珍しく目に戸惑いの表情を浮かべた。
「ぃゃ……楊痲とはここまで一緒だった」
 目を少しだけ逸らして呟いた昂葵に、問いかけた張本人は「そうなんですかー」なんて軽く答えた。

 □ ■ □

 3日間の滞在。
 黄香と楊痲。青蘭と昂葵の二組は、一度も顔を合わせることなく終わった。
 それぞれ、本を読んだりお茶を飲んだりと、平和な時間を過ごしたように見えた。

 □ ■ □

 そして、4日目。
「おはよう、楊痲。今日で4日目だけど――元気?」
 ノックをして戸を開けた黄香は、思わず語尾をあげた。
 寝ぼけているのかそれとも別の要因か。
 ともかくそこには、寝台の上に身を起こしてぼーっとしている楊痲が居た。
「ぁ、おはようございます」
 すぐさま我に返った楊痲は、にこりと笑って挨拶をする。
 心なしか、その笑顔に元気が無いな。
 黄香はそんなことを思いながらも、そこに触れることはなく。自分自身が何処か浮かない気分である事も触れることなく。「朝ごはん、準備できてるよ」と食堂を指し示した。
 

「昂葵さん。朝ごはんの準備、できましたよ」
 青蘭は廊下に立って庭を眺めている昂葵に声をかけた。
「あぁ――、ありがとう」
 そう言って青蘭の方へ振り向いた昂葵は、そこに立つ少女をまじまじと見つめて、小さく首をひねった。
「青蘭。昨夜はよく眠れたか?」
 突然の問に、青蘭は目を軽く開いて、瞬きを一つした。
 その後、首をかしげるように「はい、よく眠れましたよ」と笑う。
 その笑顔を見た昂葵は、青蘭の頭の上へ手を添えた。
「では、質問を変えよう。青蘭。――この3日間、辛くなかったか?」
 途端。青蘭の笑顔が固まった。
 しばらく視線をさまよわせた後、上目遣いで少しだけ背の高い昂葵の目を、じっと見る。
「私……」
「青蘭」
 開いた口から出る言葉をせき止める様に、昂葵の言葉が青蘭のそれを遮った。
「実は私もな、似たような気分なんだ」
 3日間は、思いのほか長かったよ、と。少しだけ笑うように。軽く青蘭の頭を抱き寄せた。
 庭を風が通り過ぎ、涼しげな音を立てる。まだ、少しだけ冷たさの残る廊下の空気に、手と頬の温かさが染みる。

「私、平気だと思ってました。私と師匠は師弟関係で。それはずっと変わらないなんて。そう思ってました」
 昂葵の肩に額を当てて呟く声は、彼女の耳元で続く。
「3日間、こんなに離れるのが辛いなんて。思ってませんでした……」
 昂葵は答えない。ただ、青蘭を慰めるように頭に添えた手を動かす。
「でも」
 耳元で小さく、青蘭が呟いた。
「師匠は……私のことなんてきっと見てないんですよ」
 小さく。呟くように。耳元でなかったら聞き取れなかったような、そんな泣きそうな声。
 昂葵の肩に雫のぬくもりは無いけど。彼女は、泣いているのかもしれない。
「青蘭」
 静かに、呼ぶ。
 彼女は、答えない。
「此処に住む者は、不老不死であると聞く。それに相違はないか?」
 尋ねる。
 こくん、と。小さな頷きが返ってきた。
「そうか。私はな、青蘭。不老不死とは無限に時間があることだと思う。人一人の人生など取るに足らないほどの長い時間を過ごすなら、人の一生では動かぬ心も何時か通じる時がくる」
 限られた時間を急ぎ生く私には、それが酷く羨ましい、と。語るそれは慰めか本心か。
 風が二人の髪をさらりと撫で、長いようで短いひとときが過ぎた後。
「ありがとう、ございます」
 これまでの言葉以上に小さな声で、青蘭が呟いた。
 そして顔を上げて昂葵から少し離れた彼女は、いつものようににこりと笑って「ご飯、冷めちゃいますね」と食堂を指し示した。

 □ ■ □

 朝食後、3日ぶりに顔を合せた楊痲と昂葵は、来た時とほとんど変わらない雰囲気のまま、黄香と青蘭に見送られていった。
 二人がどうなるかは、彼ら次第。と。軽く別れを惜しむ青蘭と対照的に、黄香はあっさりと二人を見送った。

「青蘭。お茶入れてもらえるかな?」
 もう誰の影も見えない門に視線を送っていた青蘭に、そんな声がかけられた。
 振り返ると、そこに立って居るのは少々大きめの服に身を包んだ少年。
 自分を此処へ連れてきて、今の役割を与えてくれた、その人。
 昂葵の言葉がふわりと浮かぶ。
 確かに、3日間は長かった。記憶をなくした自分が此処にきてから一度も、姿が見れないなんて考えたことも無かったから。
 でも、彼が自分を見ていない事を確認するのに比べれば。なんてこと無いはず。
 この3日間、そう思ってたハズなのに。師弟以外の何でもないって。そう思ってたのに。こんなに切なくなるのはなぜなのか。
 昂葵の、表面にはださないもののしっかりとした心を見たからか。
 ついさっき見送ったばかりの二人を、少しでも羨ましいと思ったからか。

「せーりょん?」
 ぼんやりとしていた彼女に、再び声がかけられる。

 羨ましい、と昂葵が言った言葉を思い出す。
 その言葉を、自分の気持ちに蓋するように被せて。
「――あぁ、はい。すみません。お茶、今入れますね」
 大丈夫。と自分に言い聞かせるように笑った。

 それはまだ、春がまだやってきたばかりの頃。
 春の陽気に乗せられて、この気持ちが動くかどうかは――また、別の話。

一月に一つ、その月にあったお話を。
はい。四月です。
けじめをつけたり、何かを動かしたり。始まりの月はそういうのにはぴったり。
今回、黄香とか楊痲とか、男性パートはほとんど触れてませんが、これもいつか描きたいものです。うん。後は。青蘭と黄香とか、その場所とか。色々書いてはいたのですが、それもまた、別に上げることにします。
それではまた来月。