「週末は流れ星が見えるそうですよ」
「わ。本当ですか?」
珈琲を淹れるのは、まだ学生のようにも見えるロイド眼鏡をかけた少年。
カウンタの外側に座るのは、肩を少し過ぎた黒髪を大きなリボンで一つに纏めた少女。
店長と客。
一見そうとも取れる二人は、その関係では説明がつけられないほど幸せそうな笑顔を交している。会話の内容は、近いうちにやってくる流星群のこと。
流星群とはどんな感じなのだろう、と想像をめぐらせる少女。
珈琲を注ぎながらその顔を見ていた彼は、眼鏡の奥で視線を和ませる。
「流星群、というくらいだから……流れ星で空が埋まってしまうくらいなんでしょうか」
「そうですね――。それは実際に見て確かめましょうか」
カップに注がれる液体の音に混じってそんなやり取りを交わす。
「たくさんの流れ星が見れるといいなぁ」
目を閉じて流星が降り注ぐ空を楽しむ少女に、彼は少しだけ複雑な表情を浮かべた。
「えっと……初音さんが良ければ、ですが」
少年が視線を少しだけずらして、そう前置く。
初音と呼ばれた少女がその言葉に目を開く前に、躊躇いを笑顔に換える。
「一緒に、見に行きませんか?」
かちゃり、と陶器のこすれる音と共に、そんな言葉がカウンタに響いた。
それは、客にお茶のお代わりを勧めるかのような表情。でもどこか緊張したかような声。
初音は一瞬きょとんとした目で少年を見た後、とてもとても嬉しそうに「はいっ」と笑った。
珈琲に砂糖を二つ落として、初音は少しだけ頬を染めて彼を見上げた。
カウンタを挟んで立つ少年と、椅子に座る少女。
じっと眺める少女の視線に気付いた彼は、いつものようににこりと笑って「どうしましたか?」と問いかける。
途端、彼女は桃色の頬をもうちょっとだけ赤く染めた。
うん? と軽く首を傾げて少年は回答を待つ。
暫くの後、少年の目の前に右手が差し出された。
その手は軽く握り締められ。
小指だけが自信なさげに解かれていた。
その向こうでは、初音が頬を赤く染めて真っ直ぐにこちらを見ている。
目が合うと、彼女はちょっとだけ困ったような目をする。
それでも視線は真っ直ぐ。
頬は林檎色。
差し出された手は小さく震えていて――。
「はつ」
「あの……指きり、してください……」
初音さん、と彼が呼ぶ名を、彼女が今にも消えそうな声で遮る。
一瞬の間の後、彼女は慌てたように言葉を続けた。
「和也さんと……こうやって約束するの。はじめてだから……その……ゆびきり……したいな。って……」
声はどんどん小さくなる。
頬はどんどん赤くなる。
顔はすっかり俯いてしまって。
手が。遠ざかる。
すっかり俯いてしまった彼女を見て、彼は目を瞬かせた。
躊躇いなんて、一瞬。
「――はい。約束、ですね」
彼はそう言いながらカウンタから身を乗り出し、彼女の指に自身の小指を絡ませた。
□ ■ □
そして週末。
その日は見事に雨だった。
「雨……」
流れ星……見れないな。と初音は窓を打つ雨水にため息をついた。
ひやりと冷たい窓に添えられた右手。
その小指にちらりと視線を移す。
それはあの日。
自分が一番大切な人と、初めての約束を交した小指。
其れを見ると、今日の雨は尚更残念。
「雨、やむかな……」
雨雲の切れ間が見えない空を見上げて、彼女はもう一度、ため息をついた。
□ ■ □
夜。
やはり雨はやまない。
しとしとと、弱いながらも星をすっかり隠してしまっている。
そんな空を机に頬杖突いて眺めていると、ドアのノックが部屋に響いた。
ドアの向こうにいたのは、使用人の少女。
告げられたのは、彼の来訪。
そして。
彼と彼女は二人、傘を差して歩いていた。
傘に落ちる雨音は無い。
雨は音も無く落ちて行く。
葉もすっかり落ちてしまった桜並木に響くのは。
靴が水を撥ねる音。
遠くから聞こえる喧騒。
辿るのは、初音がいつも喫茶店へと通う道。
その行き先も。いつも通りで。
店には、暖かな灯りが燈っていた。
誰もいない店内。
彼女をいつも座る一番奥の席へと促して、彼は隣の席へと腰掛ける。
それから彼はカウンタに置いてあった小さな包みを初音に差し出した。
「これは……?」
初音の疑問に、彼は「どうぞ開けてみてください」とだけ答える。
疑問を顔に浮かべつつも、彼女はそっと包みを開く。
かさりと音を立てて開いたそれに入っていたのは、色とりどりの小さな星々。
「……金平、糖?」
手のひらで転がる小さな星から隣へと視線を移した彼女に、彼はいつも通りの笑顔を返す。
「今日は残念ながら雨でしたが」
そう言いながら彼は初音の手を取り、あの日と同じように小指を絡ませ、
「一緒に星を見ると約束しましたからね」
それをを目の高さに掲げて、笑った。
□ ■ □
艶やかな表面に型抜きされた星が散りばめられたアップル・パイを口へ運びながら、初音はカウンタの向こうで珈琲を淹れる和也の名を呼んだ。
「どうしました?」
お砂糖でも足りませんでしたか? と振り返る彼に、彼女は小さく首を振って答えた。
「来週晴れたら……流れ星じゃなくても良いですから……、一緒に、星を見てもらえますか?」
頬を少しだけ上気させた、控え目な願い事。
答えなど選ぶまでもない。
雨が降ったら、金平糖を用意して。
雲が切れたら、星を二人で。
「勿論。一緒に星を見に行きましょうね」
では、約束を。
そう付け足すように、今度は彼が小指を差し出した。