一番最初の記憶は、人形。
それは夕方の室内で真っ赤に塗れていてばらばらで。
人形と呼ぶには十分な代物だった。
その前には、人形と同じように濡れた夕日を浴びて真っ赤になった刀を携えた影。
まだ微かに動く人形をただ見下ろす。その姿はまるで、糸の切れた人形を前にした人形使い。
夕日が照らす室内はただただ赤い。でも、その赤はとても色褪せていて。
そんな絵のような一瞬の中で、彼の刀がこつ、と小さな音を立てた。
「あぁ…しまった」
大事な事を聞きそびれた、と人形使いは呟いた。
こぷ。とそれに応えるかのように、人形は小さな赤い泡を吐く。
その様子を、しばらく面白く無さそうに眺めていた人形使いは「仕方ないか」と小さな溜息と一緒に言葉を吐き出し、そのまま目の前の人形に刀を突き立てた。
何も言わず。
祈る事も、罵りの言葉もなく。
ただ、目の前のものを細かくしていく。
そして、もう二度と元の形に戻せない程細かくなった人形に興味を無くした人形使いは、ゆっくりと私のほうへ振り向いた。
その顔は覚えていないけど。とても、やさしい笑顔、だった。
――これが、私の一番最初の記憶。
それは同時に、私が両親について覚えている、最後の記憶。
□ ■ □
「――」
目が覚めた。
まだ薄暗い天井をぼんやりと眺めながら、またあの夢かと溜息をつく。
十年近くたった今でも鮮明に残るあの夢。
人形をばらばらにする人形遣い。
現実でお目にかかることなど無いような紛れもない現実は、詳細を忘れかけた頃になると夢枕へと現れる。
ただでさえ迷惑な夢。そして更に迷惑なことに。あれはいつも同じ所で終わる。
それは、幼い自分があそこからどうやって逃げたかなんて覚えていないからだろうか。
実際、ただ必死だった、という事だけが印象に強く、細かいことなど覚えていない。
あぁ。そういえば、あの後はしばらく泣いて過ごしていたな。と当時の自分を思い出し、少しだけ眉間にしわを寄せる。そんな幼い自分に呆れながら寝返りを打つと、傍らに置いた刀が視界に入った。
黒い鞘に収められたそれは、家を出る際に私が持ち出した唯一のもの。
思い出も感情も何も残っていないあの家。
そんな所からこれを持ち出した理由など、自分の決意を鈍らせないために他ならない。
しかし。
刀を持ち出したとて、私が最も得意とするものは呪符。実際に使うことがあまり無い。
それ故に、実用性など何もない。
これに意味を与えるならば。
あの日何もできなかった自分自身に対する戒めだ。
己が残った意味を考えろ。
己が為すべき事をを考えろ。
それを眺めながらあの夢を反芻し、考察する。
その考察はこの夢を見た後の定型のようなものであり、その思考に全く意味はない。
それだというのに。思い出し、考えるのはまだあの頃の自分に未練があるからなのだろうか。
とはいっても、私にはあれ以前の記憶が無い。
いや、無いというよりもむしろ、意図的に忘れたようなものだ。
どんなに楽しい記憶があったとしても、すぐにあの赤い部屋にかき消されてしまうから。
思い出しても、夢に見ても。
最後は必ずあの赤に塗りつぶされて消え果てる。
だから、思い出すことなど無くなった。
思い出そうとする事すらしなくなった。
だから。
幼くて弱かった己を否定するかのように、思い出を捨てた。名前を捨てた。
もう流す涙など残っていないからと、己につけた名前。
枕にしがみ付いて泣いてばかりだったあの子に向かってそっと口に乗せたそれは、思った以上に私に馴染んだ。
――ふと。視界に白が射した。
眩しさに目を細めて光源を探すと、障子の隙間から光の筋が伸びていた。
どうでも良い考え事をしている間に、もう日が昇る時間になったらしい。
もう一つため息をついて、気だるい身体を起こした。
いつものように顔を洗い、服を着替え、髪を結う。
すっかり身支度が整った所で、初めて刀を手に取る。
あの人形遣いがどうなったかなんて、私は知らない。
知らされたことはただ一つ、彼は今でも生きている。それだけ。
手にした刀に視線を落として、目を細める。
全てを捨てたと思っていた自分に唯一残っていた感情が燻る。
敵討ちをしようなんて考えはない。したところで意味もない。
では、私は何の為にこの旅を続けているのか。
ただ、良く分からないまま蟠るこの感情を消したいのかもしれない。
感情も何もかも抜きにして、あの日の理由を知りたいだけなのかもしれない。
――全く。己の事なのにこのざまとは。と軽く笑い、呟く。
「……――さぁ、行こうか。葉月」
あの男の居場所を見つけ出し、殺すために。