局員には、一人一つずつポストが割り当てられている。
自分がその日配達すべき郵便物は全てその中に入っている為、局員達の仕事はまず、このポストを覗くことから始まる。
「あれ?」
自分に割り当てられたポストを覗いて、一人の少女が軽く首を傾げていた。
年の頃は12,3。白いシャツに青いプリーツスカート。ショートブーツに黒い髪。いつもかぶっている帽子は、紅い鞄と共に右腕に抱え込まれていた。
「キリハー? そんなに首を傾げてると、いつか落ちちゃうよ?」
そう言いながら少しだけ高いところにあるポストの扉を開けるのは、17,8才の少女。ゴーグル・帽子・鞄を抱え、まだ水気の残る髪を空気にさらしたまま、慣れた手つきでポストの中身を取り出していく。
キリハと呼ばれた少女は「うー。落ちちゃうのは嫌だけど。見てよ、ほら」とポストの中を指し示す。どれどれ、とのぞき込んだ彼女も「うん?」と軽く首を傾げた。
「これは……珍しいこともあるんだね」
「うん」
キリハのポストに割り振られていたのは、一つの小包。
「こういう小包はスクーター持ってるアキちゃんの管轄だと思ったんだけどな」
キリハがぽつりと呟く。
アキと呼ばれた少女も、うん、と頷く。
「確かに。キリハにここまでの物が割り振られるとはねぇ」
「だよねー。これ、絶対鞄に入らないよ」
「あぁ、無理だね」
そこで少しだけ会話が途切れ、二人揃ってその小包に視線を送る。
確かにこれまで、ある程度以上の大きさを持つ小包はアキの方へと回されていた。これまでの例で考えれば、この大きさは確実にアキへと回ってくる類の物。
二人でたった一つの小包を眺めていると、かなり真剣な声でキリハがアキを呼んだ。
「アキちゃん」
「うん?」
「これ、替わって?」
「だーめ。このポストの割り振りは絶対、でしょ?」
だったらこの小包はキリハがしっかり届けなきゃ。と、軽く背中を叩き、彼女は奥の休憩室へと姿を消した。
ぽつんと取り残されたキリハは、それでも小包とにらみ合ったまま。
しかし、それもしばらくの事。
「そうだよねー。抱えていくしかないんだよねー」
一つだけ小さくため息をつき、諦めたようにその小包を手に取った。
□ ■ □
郵便物に宛先はもちろんだが、時々通り道や時間まで指定されている場合がある。
その意図は差出人や受取人に何らかの意味があるのだろうが、配達人はその意図に関わらず、指示通りに届けるだけだ。
今回の小包は、その「時々」に当たる部類のものだった。
月のかかる、ススキ野原。それを眺めながら、キリハは小包を両腕で抱えて歩く。
小包は、両手で抱えるには少々小さく、片腕で抱えるには少し大きめ。両腕で抱えたり、片手にしてみたりと時々持ち方を変えつつ、宛先に向けて、畦道を歩く。
すっかり影絵の様になってしまった山々と、それでもまだ色を主張するススキ。
誰もいない、何も居ない。
風で葉が触れる音一つしないその空間。
キリハは軽く足を止めて、軽く月を見上げる。
紺色の空にかかるのは、満月には少しだけ遠い欠けた月。
それでもこの道を照らすには十分な光量を持つそれは、ただ静かに、そこにあった。
――ところで。
ふと、彼女は考えた。
――この包み、中身は何なんだろう?
両腕で抱えるには少々小さく、片腕には少し大きい。
かといって重量は無く、見かけ以上に軽い。
届け物の中身には関与する必要がない為、気にかけたことはないし、かけることもない。
それなのに、そんなことを考えた。
小包を両腕で抱くように抱え、月を見上げてそんなことを考えた。
ただ静かに照らす月。
葉擦れの音一つしない、ススキ野原。
そんな場所にまっすぐ伸びる畦道。
そしてそこに立つ、小包を抱えた自分。
この、包みの中身。
何か、あったような気がする。
風が吹くススキ野原で。
赤く沈む夕日の中で。
「――ちゃん、待ってよぅ」
声が、聞こえたような気がした。
振り向いてみても、ただ畦道が静かにあるだけ。
しばらくその道を眺めてみたけど、風も吹かない。月も一向に傾かない。
「うん、気のせいだよね」
もう、自分をその名で呼ぶ人なんていないんだから。
軽く笑って、そう言い聞かせて。
誰もいない背後の道や月を眺めていると、不意に彼女を思い出した。
「テマリちゃん、元気かなぁ」
思い出して何気なく呟いたその一言。
その途中で、小包から小さな音が聞こえたような気がした。
音につられて小包に視線を戻し、キリハは軽く首を傾げた。
宛名の貼られた小包は、いつの間にか赤い風呂敷包みへと変化していた。
両腕に抱えられた風呂敷包み。
その結び目は、今にも解けそうだった。
アぁ、イケなイ。
コノママだト中身ガ落チちャウ。
疑問を疑問と思わぬままにその包みを右腕で抱え直す。
お届け物の中身を落とすわけにはいかない。
早く結び直さなきゃ。
そう思った彼女は、その結び目に触れ――絶句した。
軽く触れただけで解けた風呂敷の中にあったそれは、いくつかの骨とシャレコウベ。
「――ぁ」
その何処を見てるとも知れない、洞のような眼窩は。
ただまっすぐに。
キリハとその背後に広がる動かぬ世界を見ていた。
□ ■ □
「もうすぐ始まっちゃうよ!」
早くしないと置いていっちゃうよ、という言葉を風に乗せて、赤い着物の少女が一生懸命駆けてくる少女に急かす言葉をかける。
ススキ野原にただ一本伸びる畦道は、彼女たちの他にも僅かながら人通りがあった。
皆一様に、笑顔で歩を進めていく。
その先からは、太鼓と笛の音が混じった祭り囃子が聞こえてくる。
緑の着物の少女は同じ顔をした彼女の元へ、一生懸命に駆けていく。
ようやく追いついた時、赤い少女は心配そうに緑の少女をのぞき込んだ。
「大丈夫? 少し休んでいく?」
思った以上に息を切らせている緑の少女に声をかけると、彼女は少しだけ弱った笑顔で「ううん、大丈夫だよ」と答えた。
言葉ではそういってても、赤い少女は彼女が元より運動が苦手だと言うこと位心得ている。
だから、彼女に手を差し出した。
「まだ時間はありそうだし、ゆっくり行こうか」
そういうと彼女は嬉しそうにその手を握り替えして笑うのだ。
「うん! ちゃんはやっぱり優しいね」
□ ■ □
ふと我に返ると、そこにはキリハ一人しか居なかった。
「ぁ、あれ?」
思わず辺りをきょろきょろと見回すが、そこには相変わらず時間が止まったかのようなススキ野原が広がるばかり。
さっきの光景は何だったのだろう。
首を傾げてみても、答えは出ない。
赤い着物と緑の着物を着た少女。
此処とうり二つの場所。
遠くから響く祭り囃子。
そして自分は。
この後の事を知っている――?
頭に疑問符をたくさん浮かべて、キリハはただただ首を傾げる。
このススキ野原は何処なんだろう?
あの女の子達は、なんであそこに居たんだろう?
それにこの、シャレコウベ。
「って、あれ?」
再び視線を落としたそれは、風呂敷包みなどではなかった。
その小包を横から見ても下から見ても、何の変哲もない小包。
「……夢でも見たのかな」
きっと、時間が止まったようなこの場所が、一時の幻を見せたのかもしれない。
そうだ。きっとそうに違いない。
勝手にそう結論付けて、キリハは再び歩を進めた。
□ ■ □
「おとどけものでーす」
小包を抱えたまま、一軒の家の前でそう声を上げると、すぐさま家の主が出てきた。
黒い髪に黒い瞳。一見まじめそうな印象を受ける、学生服に身を包んだ少年は、キリハと郵便物の間で視線を数度彷徨わせた後「ぁ、えぇと……サインでも、良いですか?」とポケットからボールペンを取り出した。
「はいっ。構いませんよー」
そういって箱に貼られた伝票を指で示す。
サインをもらって、一枚はぎ取り、荷物を彼に渡す。
「ありがとう、ございます」
「いえいえ、こちらこそー」
帽子を取ってぺこりと挨拶をすると、少年も釣られるように軽く会釈をする。そして、帽子をしっかりとかぶり直して伝票をしまうキリハに物言いたげな視線を投げかける。
「? 何か?」
もし荷物があるなら受け取っていきますよー、と笑うと、少年は「いえ、そういう事じゃないんです」と首を振り、意を決したように口を開いた。
「あの、失礼ですが……お名前聞いても良いですか?」
「へ?」
「ぁ、いや。なんか知り合いに似てて……って、その、変なこと聞いてすみません! 今の質問は」
「キリハです」
「ぇ」
「キリハと言います。また、何かお届け物があったら伺いますね」
にっこり笑って答えるキリハへの、戸惑ったような返事は「ぁ、はい。よろしくお願いします」だった。
□ ■ □
休憩室で一息つきながら、キリハはあの時の映像を反芻していた。
あのススキ野原なんて、知らないけど。
あの出来事は知っている。
赤い着物と緑の着物。二人の女の子も知っているけど。
彼女たちがどうしてお祭りに行こうとしたのかは知らない。
そもそも。
あのお祭りって、本当に夏祭りだったっけ――?
疑い始めるとキリがない。
はふぅ、と考えを中断させる為だけにため息をつくと、ちょうど入り口の自動ドアが開いた。
そこに立っているのは、ゴーグルと帽子を外しながら入ってくるアキ。
「ぁ、キリハ。あの小包は無事届け終わったようだね――って、なんか腑に落ちない顔してるなぁ。どうしたの?」
「んー。なんというかねー。ちょっとごちゃごちゃしちゃって」
曖昧な心境そのままに答えると、アキは自分のカップにコーヒーを淹れて向かいのソファに腰掛けて、続きの言葉をじっと待つ。
「アキちゃんはさ、自分の記憶にないのに知ってる出来事がある、って感覚分かる?」
「うん?」
「なんかこう、説明しづらいんだけどね。初めて見る景色なのに、そこで何があったか知ってて。でも、それは記憶になくて。記憶にないけど、分かってて……」
曖昧なまま喋るからか、語尾がどんどん小さくなっていく。
そうやって混乱にはまっていって「うー」とか「あー」とか言い始めたキリハに、アキは一言「本当は、知ってるのかも知れないよ」と軽く言う。
「本当は、知ってる?」
「うん。ほら、私たちってさ、何らかの理由で此処にやってくるわけでしょ?」
「うん」
「そして、人それぞれによって記憶の有無は曖昧」
彼女はうん、と頷いて説明の先を促す。
「私は記憶全くないから何とも言えないけど。キリハの場合は記憶がある」
でもさ、と小さく言葉をつなげて、少しだけ身を乗り出すと、キリハも一緒に身を乗り出してきた。内緒話のような体勢で、アキは悪戯っぽく告げる。
「記憶があるからそれが完全だ、なんて思っちゃイケナイと思うんだ」
だって、どうしてここに来たか、は覚えてないんでしょ? と軽く言うと、キリハはこくん、と頷いた。
「そう、だね。アキちゃんの言うとおりだ」
そういう彼女の顔は、なんだかスッキリしたようだった。
知ってることが全てとは限らない。
知らないこと。記憶と違うこと。そういうことだってあるかも知れない。
此処は、そんな場所なのだ。
「キリハ。君はそんな困ったような顔、似合わないよ。もっとこう、笑ってなきゃ」
少しだけお姉さんぶって笑うと、彼女も「あぁ、そうだね」とにっこり笑った。
そうそう、此処はそんな場所。
何もかもが曖昧で、不確かで。
それでも、やり甲斐と笑顔がたくさんある。
そんな場所なんだ。
キリハの笑顔を満足げに眺めたアキは満足げにカップに口をつけ、少しだけ苦い顔をした。
「? アキちゃん、どーしたの?」
「砂糖、入れ忘れた」