九月の話。

 精霊が多く住むと言われる森がある。
 真っ直ぐに森を突っ切る街道の先にあるのは、小さな公国。トラングリッド。
 精霊の主――神に祝福された信心深い貴族が森の奥深くに建てた城の周りに、いつしかできた小さな町。それは街になり、人を集め、やがてその貴族の息子を主に小さな国へと成長した。
 そして、神の祝福を受けたその国は、穏やかに、平和に、時を繋げてきた。
 戦乱に巻き込まれても。災厄に追われても。
 穏やかに。平和に。
 それらを積み上げていった。

 そして現在、森の奥に城を構えるのは、第23代トラングリッド公主。
 彼の一人娘には、とある噂があった。
 「薔薇嬢」カイ=カルティシア=トラングリッドには、瓜二つの人形が居る。
 城の奥深くで成長を続けている其れは、トラングリッド公に神が与えた奇跡。精霊達の祝福。
 その名は「人形嬢」。レイという。

 あくまでも噂。
 そう、唯の噂話に過ぎないのに。
 この噂は薔薇嬢が生まれて13年が経とうとした今も、消えない。

 □ ■ □

 トラングリッド公の長女、「薔薇嬢」カイ=カルティシア=トラングリッドは、明日迎える13の誕生日を心待ちにしていた。
 生まれた季節を象徴するような、深いグリーンの瞳を輝かせ。癖の無いブロンドの髪を薄紅色のドレスの背に揺らし。頬を仄かに赤く染めて、彼女は楽しそうにお茶を飲んでいた。
 そんな彼女は扉の開く音で視線を背後に動かし、入ってきた人物を自分付きの次女、アリアだと認めるや否や、カップをできるだけ音を立てず、けれどもその時間すら惜しそうに急いでソーサーの上に置き、彼女へと駆け寄った。
「ねぇ、アリア。明日のドレスってどんなの?」
 言葉や表情から簡単に読み取れるほど、カイはとてもうきうきしていた。
 明日の戴冠式。それは晴れて「姫」として認められる儀式。13歳の誕生日。
 とてもとても、おめでたいこと。と。
「カイ様。そんなにはしゃいでたら礼儀作法の先生に怒られてしまいますよ」
 アリアも口ではそんな事を言うが、にっこりと楽しそうな笑みを浮かべて「これですよ」と持ってきたばかりのドレスを軽く広げる。
 薔薇紅の柔らかい生地に、淡い桃色のレース。胸元には小さな薔薇。
 全体的に赤い色で纏められたそのドレスに、カイは「わぁ、素敵!」と声を上げた。そのままドレスにうっとりとした視線を投げて「アリア。明日が楽しみね!」と、笑った。
 彼女の頭の中は既に、姫となった自分の姿でいっぱいになっているらしく、アリアの言葉も耳に入らない。ドレスで一気にテンションが上がったのか、そのまま明日の髪型やアクセサリに悩み始めた彼女に、アリアも軽く笑みを浮かべ話へと加わった。

 □ ■ □

 当日は朝から街がにぎやかだった。
 道には露天が立ち並び、笑い声とざわめきが絶えない。
 商人の声、人々の笑い声、楽器の音。様々な音が賑やかに街を彩る。
 道に立つのは国の民だけではなく、この地では見かけない装飾を身につけた人々や馬車も見受けられる。
 全ての人が今日と言う日を祝い、踊り、歌う。

 今日はおめでたい日。
 この国に、新たな姫が誕生する。

 □ ■ □

 街の賑わいが大きくても、城のホールまでは届かない。
 街から少しだけ離れた――小さな森の奥にあるシンプルなデザインの城では、薔薇嬢13歳の祝いの式典が始まろうとしていた。
 明り取りの窓がついた丸い天井から差し込む光で静かに照らされたそのホールは、街ほどではなくとも、また別のざわめきがあった。
 とはいっても、内容は街とさほど変わらない。

 13歳の祝いがめでたいという、祝いのささやき。
 今年は収穫が多そうだという、自国に関するささやき。
 それから。
 城の奥で成長し続けているという、人形の噂。

 そんなざわめきも、トラングリッド公が壇上に姿を現した途端小さくなっていき、数秒もしないうちに、ホールは静まり返った。
 中央に立つ男性は、白一色の衣装に淡いグリーンのマントという正装。まだ30台ほどに見える彼は、右側に淡いブルーのドレスを纏った女性を、左側に薔薇紅の少女を伴ってホールをぐるりと見渡した。
「――皆様、本日はお集まりいただき有り難うございます」
 壇上に立った公は、このような挨拶は苦手ですが、と小さく前置きをしてから挨拶を始めた。

 式典とは、形式にのっとったものである。もちろん、カイはその間じっとしておかなければならないのが少しだけ苦手だった。
 普段ならば退屈で退屈で仕方がないそれ。しかし、今日ばかりは勝手が違う。全て自分のためのもの。そしてそれは、カイ本人にとっては一つ一つがうれしいことだった。
 正式に「姫」として認められる時間が近づいてくる。要約すれば「おめでとうございます」唯一言に集約されそうな挨拶も、一つ一つ笑顔で「ありがとうございます」と返して行く。

 来賓の祝いの言葉や贈り物、それら全てを受け取ってしまい、とうとう自分が父公に「姫」と宣言される時がやってきた。

 壇上の両親の前で、背筋を伸ばして立つ。
 ドレスの裾を両手に絡ませ、礼をする。
 目を閉じると、頭の上に小さなティアラが乗せられる感触。
 そして。ずっと待っていた言葉が、響いた。
 宣言されるのはたった一言。
 魔法にも似たそれが響く。

「ここに、『薔薇姫』カイ=カルティシア=トラングリッドの認定を宣言する」

 静かなホールに響き渡る父公の声は、いつもより少しだけ低め。
 深く頭を下げるカイ。
 ホールに広がり、薄れる余韻。
 それと入れ替わるかのように沸く、人々の拍手。
 その拍手の中、混じる異音。
 ホールの扉が開く音。

 拍手の音に混じる、ざわめきの声。
 その声にカイもドレスの裾を降ろして振り返る。
 開いたドアの所に立つのは、一人の少年とその付き人だった。

 シンプルな。装飾といえる装飾はマントの止め具しかない白い上着。纏うマントも、裏地こそ濃いグリーンであるものの、上着と同色。
 白とも銀とも取れそうな、背中に流された髪。前髪も顔の半分を軽く覆っていて、濃い紫の瞳が時折垣間見えるのみ。
 そして何より特徴的なのは、その顔。
 全体的に白い印象を与える彼の顔は、左半分をすっぽりと覆う仮面で隠されている。

 付き人の少年は対照的に、上から下まで真っ黒だった。
 きっちりと着込んだ黒服に黒い髪。片眼鏡の奥に見える瞳も同色。無表情のようだとも忠実そうだとも取れそうな瞳は、何事にも関心がないかのようにまっすぐ前を見ていた。

 白と黒。対照的な彼ら――特に白い少年の格好はあまりに特徴的で、誰かを問うまでもなく、皆が彼を知っていた。
 クラエス=クラック。隣国の魔道国家ラクラレックの長男。長男でありながらも城に住むことはなく、そればかりか国の管理は弟に任せ、自分は近くの森の奥に館を構えて気ままに暮らしているという。それは森の祝福を受けたからとも、獣の呪いを受けたからとも言われているが、真偽の程は定かではない。
 森の奥に住むせいか。はたまたその噂のせいか。彼は人前に姿を現すことは殆どなく、――たまに姿を現しても、顔は殆ど見えないため――彼の顔を知る者は居ない。
 そんな、奇異という言葉がぴったりな少年。

 彼の姿を認めた人々のささやき声が、途端にホールを支配する。
「彼がどうしてこの場に――?」
「相変わらずおかしな格好を――」
「あの仮面、一体何なのでしょう」
「まぁ、気味が悪い――」

 そのささやきは、彼がとても場違いだといわんばかりのものばかり。
 それでも彼は動じることなく。
 寧ろ、付き人の少年と二人、一瞬だけ視線を合わせて口の端だけで笑い、そのまま歩を進めて、あっけにとられたままのカイから数歩だけ離れたところで膝をついた。

 彼の口から飛び出すのはどんな言葉なのか。
 噂だけは聞いているカイは、目の前で膝をついている真っ白な少年に不安げな目を向けたまま動けない。
 少しだけのざわめきと、少しだけのささやき。
 それも、しばらくしない間に止み、ホールは再び静けさを――今度は、少しばかり緊張感を持った静けさを――取り戻した。
 この不可思議な少年。魔道国家の長男はいったい何のためにここに現れたのか。
 集まった人々の興味は、ただそれだけだと言わんばかりの沈黙。

「薔薇姫の即位、おめでとうございます」
 そんななか、彼の言葉はそのような当たり障りの無い言葉から始まった。
「ぁ……ありがとう、ございます」
 不安げな視線のままに返事を返すカイに視線を向けることなく、「此処で申し上げるのも何なのですが」と、彼はそのまま言葉を続ける。
「トラングリッド公は、あのときの約束を覚えておりますでしょうか?」
 約束。それがどのような経緯で結ばれたかはまったく触れることなく、彼はそれを口にし、トラングリッド公もまた、余計なことは何も言わずに「うむ」と頷いた。

 ここで初めて彼は顔を上げ、トラングリッド公へと真っ直ぐに視線を向けた。
 前髪の隙間から覗く、濃い紫の瞳。
 トラングリッド公もまた、その目を深い青の瞳で真っ直ぐに見返す。
 その目を見た彼は少しだけ満足そうに笑って。
「それでは。あの時の約束、今ここで叶えていただきたく思うのですが――よろしいでしょうか?」
 人々がざわめいたのは一瞬。
 すぐさま皆が口をつぐみ、公の返答を、そして、彼の次の言葉を待つ。
 トラングリッド公は、少しだけ神妙な顔をしたが、それもまた短い時間のこと。すぐさま「あぁ、いいだろう」と、頷いた。

 それを見た少年は口の端に楽しそうな笑みを浮かべ、膝をついたままその望みを口にした。
「約束――、私が望むものは、本日13歳になられた姫君。トラングリッド嬢でございます」

 ホールに響いたその言葉に、皆が言葉を止めた。
 言葉など、元から止まっていたが、それ以上の沈黙がホールを支配した。
 しん、と静まり返るホール。
 口元を押さえて信じられないと顔色を変えたのは、壇上に立ったままずっと、彼を不安げに見ていたカイ。彼女がおろおろと父に視線を向けると、彼は口元に手をあて、眉間に軽くしわを寄せて「ふむ」と軽く唸っていた。

 どうして。
 どうして姫となったその日に、私はお父様の約束の代償として生涯ともにする相手まで決まってしまいそうになっているの?
 カイの頭の中は、そんな疑問でいっぱいだった。
 しかも相手は「変わり者」と言われる隣国の長男。
 そんな仕打ちってないわ、と、どんなに目で訴えても、難しい顔の父はカイに視線を向けることはなかった。母を見てもまた、同様に口を閉ざしたまま。

 考え込む仕草のトラングリッド公。
 それを黙って見守る公妃。
 黙って見守る客人たち。

 しばらくの沈黙の後、公主はため息とともに口を開いた。
「約束は、約束だ。その要望、受け入れよう」
 静かに響く、低い声は少しずつ客人たちの耳へとしみこみ、波紋が広がるようにざわざわと人の声が広がり始めた。
「お父様・・・・・・」
 小さく呟いて悲しそうな顔をするカイに、父は少しだけ渋い顔のまま、「約束は何があっても守らねばならない。彼にはそれだけの恩があるのだ」とだけ呟いた。

 今にも倒れてしまいそうなほど、目に悲壮な表情を浮かべた娘を見やった父公は、すぐにまぶたを伏せた。
 しかし、その渋い顔は一瞬で。
 公主は少年をまっすぐに見据え、改めて口を開いた。
「わが娘、カイ=カルティシア=トラングリッドを」
「――公主」
 公主の言葉をさえぎるように、少年は視線を真正面から受け止めて声を上げた。
「公は何か、勘違いなさっておいでです」
 その言葉は、とても不可思議だった。
 彼は、トラングリッド公の娘を望んだ。
 それなのに、そこに立つ薔薇嬢ではないという。
 どういうことだ、と公主が口を開く前に、少年は今度こそ楽しそうな笑みを浮かべて、はっきりと言った。

「私が望むのはもう一人の姫君――人形嬢、レイ=レインシア=トラングリッド嬢でございます」

 今度こそ。トラングリッド公は絶句した

一月に一つ、その月にあったお話を。
九月です。現実世界ではそんなのとっくに通り過ぎてますが! (´・ω・)
最初はレイチゃんがいっぱいだったのに、書き直せば書き直すほど出番が減って、最終的には名前オンリーですよ!
まぁ、カイちゃんにいたっては名前すら違いましたが。w
ぁ、人形とか名前とか、なんか繋がってそうなのは単なる偶然です。書いた後で気がつきましたよ……。orz
それではまた来月。