十一月の話。

 厨房にいるのは、一組の男女。
 ジャガイモの皮を器用に剥いていくのは、黒尽くめの少年。
 皿を丁寧に拭くのは、赤銅色の髪をした少女。
「バロックさん」
 皿をかちゃりと置いて、次の皿を取りつつ、少女が口を開く。
「――なんですか?」
 包丁を持つ手を休めることなく、口だけを動かす少年。
「いや、私の見間違いというか……勘違いでなければいいのですが」
 そういって少女は少しだけ躊躇うように言葉を続ける。
「クラエス様ってお嬢様の事、好きですよね」
「そうですね。それはもう、ついつい苛めてしまう程」
 動じる事もなく、簡単に肯定された言葉に、少女はやっぱりなぁ、というため息を一つつく。
「ですよね――」
「えぇ」

 そのまましばらくすると、今度は少年が口を開いた。
「トラングリッド嬢も、そうですよね」
 皮を剥き終えたジャガイモを鍋に放り込み、新たな野菜を手に取る作業は決して緩む事はない。
 少女のほうも、皿を拭き終わったのか、包丁片手に人参を手に取りながら答える。
「あぁ。そうですねー。ちょっと冷たい態度を取った後は、お嬢様なりに反省してるんですよ。いつも」

「それにしても、あの二人大丈夫なんでしょうか」
 ため息をつくような、少女の一言。
「――さぁ、それはあの二人次第ですよ。私たちにできるのは、その行く末をこうやって見守るだけです」
 まぁ、時には手助けが必要な事もあるでしょうけどね、と少年は剥き終えた野菜をまた鍋へと放り込む。
 そのような断片的な会話を繋げながら、夕飯の仕度は進む。

 緑の季節は通り過ぎ、季節は次第に色を失っていく。
 もうすぐ、世界はモノクロに染まる。

 □ ■ □

 魔道国家ラクラレックの執務室では。一人の少年がひたすらにペンを走らせていた。
 背中で軽く結ってあるのは、くすんだ灰色の髪。
 書面とペン先を追う瞳は、濃い――黒にも見える紫。
 机に向かう彼の手は、迷い無く書面の上をすべる。
 そして最後にサインを入れたところで軽いため息をついた。
 右目にかけられた片眼鏡に窓の景色を映し、背凭れに背中を任せて伸びをすると、「そろそろ休憩にしたらいかがですか?」という言葉が部屋に響いた。
 入り口に立っていたのは蜂蜜色の髪をした少年。使用人の衣装を身をまとった彼は、にこやかな笑みを浮かべていた。
「――うん? ウィルじゃないか。こんな時間に珍しい」
 手を後ろで組んで立っていた少年は「今日は当番なんです」と微笑んで部屋へと足を踏み入れてきた。そのまま灰色の少年の横へとやってきて、書類の山に少しだけ目を丸くする。
「今日もすごい量ですね」
「うん、おかげで家に帰る暇もない――やりたいことはたくさんあるというのになぁ」
 そんな彼の呟きに、ウィルも「そうですか、それは大変ですね」とにこやかに笑う。
「このまま、帰れなくなっちゃうのに」
 その言葉は、とても自然だった。
 灰色の少年が「そうかもね」と笑おうとして、そのおかしさに気づいた時は、もう遅かった。

 背中に走るのは重い衝撃。
 何が起こったか、わからなかったが。
 この灼熱感に平気な顔をしていられる余裕がないことだけは、確かだった。

 言葉にならない言葉を発する姿に、いつもと違った笑みを浮かべて少年は呟く。
「お勤め、ご苦労様です。若くしてこのような地位まで上り詰めた灰色の大臣、ハーヴェシク殿――いえ、今はクラエス=クラック殿下、と呼んだほうが正しいですか?」
 名を呼ばれた彼は、少しだけ動揺したかのように肩を揺らし「なぜ、それを?」といわんばかりの視線を向けた。

 彼の言うとおり、目の前にいるのは灰色の大臣・ハーヴェシク。
 そして同時に、この国を仕切る一族の長男・クラエス=クラック。
 しかし両者を見比べてそれを同一人物だと言い切る人はいないという自信を持っていた。
 雪のような白い髪。くすんだ灰色の髪。
 日に透ける紫の目。黒に近しい紫の目。
 顔の左半分を覆う仮面。右目の片眼鏡。
「こんな地位、僕には似合わないよ」とこぼし、森の奥へ移り住んだ少年。
「この位の地位が、私には丁度良い」と楽しそうに執務に励む少年。
 名こそ知れているが、その素顔を知る者は殆どいない、変わり者の王子。
 名はそこそこだが、その顔を知らない者は殆どいない、腕利きの大臣。

 それが、なぜ。

 その視線にも、ウィルはにっこりと微笑んだだけだった。
「そこは綿密な調査の結果、というやつですよ。貴方は非常に邪魔な存在なんです。弟君のクリス殿下のほうがずっと君主にふさわしい」
「それは……僕だって承知してる。だからこうやって」
「そう、それは貴方も重々承知。僕もその姿勢はとても素晴らしいものだと思っています。――しかしですね。それでも貴方を後継に、と考える人達もいるのですよ。彼らは本人が興味がないとどんなに言おうとお構いなしだ。だから、こういう意見が持ち上がったのです。長男がいなくなれば、彼らも諦めがつくだろう。と」
 言葉が続かないクラエスに、彼はにこりと笑いかけて言葉を続ける。
「確かに貴方は森の奥で暮らし、名を隠し、姿を変え、影からクリス殿下を支えてきた。これは私たちにとって非常に望ましい形であるのは確かです。――でも、貴方の存在自体が、危うい事をご理解していただきたいのです」

 そこまで喋った彼は、いつもと同じようなにこやかな笑みを浮かべて。
「それでは殿下。お勤めご苦労様です。そして――永遠におやすみなさい」
 そういい残して、部屋を後にした。

 □ ■ □

 今夜は闇が深い気がする。
 人形嬢、レイは窓から外を見ながらぼんやりとそんなことを考えていた。
 窓の外に見えるのは夜の帳が下ろされた森。
 梟と虫の声が風に乗って聞こえてくる。
 そんな森は、いつもよりも見通しが悪い。
 なんだろう。
 風が生暖かい。
 胸がざわつくのは気のせいか。

 そんな感情に気づき、彼女は小さく笑った。
 この屋敷に着てからというもの、前のように無表情でいられなくなった。
 トラングリッドにいたころとはまったく違う感覚。
 日々がこんなに楽しくて。
 毎日がとても早くて。
 ここに着てからの一ヶ月なんてあっという間で。
 心というのはこんなに動くものだったんだと思った。
 それはきっと、ここに住む住人たちのおかげだろう。
 特にこの家の主は、いらないちょっかいを出してきては私に文句を言わせる。
 彼にはついつい、きつい言葉をかけてしまう事も。
 冷たいことを言い過ぎたと、後で反省するようになったのも。
 そんな変化のひとつなのだろうか。

 あのときの約束。
 彼がどんなに忘れていようと、実行だけはされているのかもしれない。

 そんなことを考えながら窓の外に視線を送っていると、背後のドアが勢いよく開いた。
 音に驚き振り返ると、顔面蒼白なフィーナが泣きそうな顔で飛び込んできたところだった。
「お嬢様! クラエス様が……っ!!」
 彼の名前を聞いて、レイも思わず立ち上がり、彼女へと駆け寄る。
「フィーナ? 何があったの!?」
 その問いにもフィーナは真っ青な顔のまま、レイにしがみ付き震えている。
 ただ、その合間に小さくつぶやかれる言葉は、彼女にとっても信じがたいものだった。

 わかったのは、彼とはもう会えないかもしれない、ということだった。

 □ ■ □

 ラクラレックのとある一室。
 そこにいるのは一人の少年。
 14,5歳程の、小柄な身体。黒い髪に黒い瞳。濃い色の服に身を包み。年には到底似合わない程渋い顔をしていた。
 自室でそれ以外やることがないといわんばかりにうろうろと歩き回っていた少年は、ドアのノック音とその後に続いた声であわててドアへと向かった。
 ドアの向こうに立っていたのは全身黒尽くめの少年。
 姿勢良く背筋を伸ばしてたっていた彼に、少年はようやく年相応の表情で飛びついた。
「――バロック! 兄さんが……、兄さんが」
「えぇ、詳しい話を聞きに参りました。今、クラエスは何処に?」
 今にも泣きそうな顔で「兄さんは自室。まだ目を覚まさないんだ」と声のトーンを落とす。
「見つかった時はもう、死んでるかと思ったくらいだ。それでもできうる限りの処置をした。今は気を失ってるだけだけど、医師はまだ安心は出来ないって……。もし、兄さんが目を覚まさなかったら……僕は、どうしよう。兄さんがいたから、僕はここにいられたのに……っ!」
 取り乱しそうになった少年の肩をそっと押さえ、バロックは静かに告げる。
「クリス様、落ち着いてください。気持ちは良くわかりますが、貴方はこの国を束ねる立場に立つのですよ。心を偽るなとは言いません、しかし、せめて隠すために背筋だけでも伸ばしてください。犯人もクラエスの容態もわからない今、慌てるより先にすべきことがあるはずです。悲しむのはまだ早い」
 静かな声に、きょとんとした顔で肩を落とすクリス。「そう、だな」と小さくつぶやいた彼を見て、バロックは少しだけ微笑んで言葉を続けた。
「ではクリス様。私の主、クラエスに替わり、指示を」
 指示を。
 その言葉で、クリスは少しだけ背筋を伸ばした。小さく頷いて、はっきりと告げる。
「――バロック、君に命じるのは二つ。一つは兄さんの容態を見守る事。そしてもう一つは。兄さんをあんな目に遭わせた者を見つけ出す事だ」
 僕もできる限りのことはするけど、頼んだよ。と少年は告げた。
 了解の旨を返し、バロックは部屋を後にした。
 ドアが閉まる直前、「兄さんが目を覚まして、この件が片付いたら。皆で茶会でもしよう」というクリスの声が聞こえたが、その余韻はドアの音にかき消されてしまった。
 誰もいない廊下で「そうですね」と呟き片眼鏡を軽く押し上げたバロックは、ため息を一つついた。
「それにしてもあの馬鹿は何処で尻尾を掴まれてしまったんでしょうね――」
 だから自信過剰も程々にしておけと言ったのに。
 そんな彼の呟きは、ため息に乗ることはなかった。

 □ ■ □

 そこにいたのは、2人の子供。
 白い髪に紫の瞳を持った少年。
 金色の髪に緑の瞳の少女。

 あぁ、これは夢か。
 その光景をただ眺めるのは、白い髪を背中に下ろした少年。
 森の中で楽しそうに笑う二人を見て、軽くため息をつく。
 幼いころの自分というものは、どうもくすぐったくていけない。
 あんまり見るもんじゃないな。と。

「そんな人形なんて、居るわけない」
 少年がきっぱりとそういった。
「だって、私がそうだもの」
 少女はぽつりと呟いた。視線はどこかをぼうっと眺めるようで、定まっていない。
 それでも少年はあきらめなかった。
 彼女の手を取り、それを自分の胸に当てた。
「これが、人形じゃない証拠」
 少し驚いたような顔をした少女に、少年は笑いかけた。
 それからその手を彼女自身の胸に当てる。
「そして、これは僕だけじゃない、君も同じだ」
「……」
「これでも信じられないの?」
「だって、そんなわけないって皆言うもの」

 頑なに人形だと思っている少女。
 それを否定し続ける自分。
 あっという間に崩されても、己の考えを曲げないのは、やはり人ならではだよな、とクラエスは苦笑いする。

 少年と少女の話はまだ続く。
 彼は、彼女を説得するのは諦めたようで。それでも納得はしないまま話を続けている。
 ごくごく日常的で、他愛も無い会話。
 お互いが少しずつ話し、相槌を打つ。
 しかし、少年は少女の反応が乏しいのが非常に気に入らないらしい。
 小さな光の粉を舞わせても、彼女の癖の無い金髪を巻き髪に結い上げても、反応が少ない。
 そこまで付き合う少年に軽く呆れながらも、クラエスはそのやり取りをぼんやりと眺める。
 そして少年は、面白くない。と、とうとうため息をついた。
「――分かった。そこまで人形で居たいなら僕にだって考えがある」
「考え?」
 鸚鵡返しに呟かれた一言に、少年は力強く頷き、言葉を続ける。
「いつか、僕が君をそこから連れ出してやる。人形である必要なんか無いような環境にね」
 唐突に語られた話に、少女は一瞬だけ目を丸くして、それから少しだけ笑った。
「夢見たいな話ね」
 少年はその笑顔を見て、かなり驚いたような顔をした。

 その後は良く覚えている。
「夢じゃなくて、約束」
 そんな事を言ったら、彼女はまた軽く笑うんだ。
 それから自分の髪飾りを差し出してこう言う。
「じゃぁ、約束ね」

 □ ■ □

 蒼白な顔のまま横たわる灰色の主に視線を落として、バロックは軽くため息をついた。
「クラエス。このままではトラングリッド嬢は人形に戻ってしまいますよ。それに、泣かせてしまうことになるんじゃないですか? ――まぁ、巻き込まれたものは仕方ありません。でも、この件についての説教はまた後でじっくりとして差し上げます」
 そしてまた一つため息をつき、軽く笑う。
「たまには休養も必要でしょうから、今はゆっくり休んでいてください」

 その部屋に響いた最後の音は、こつん、という軽い靴音。
 黒い従者は、それ以上何も告げることなく、部屋を後にした。

 次第に色を失う季節。
 それが白と黒に塗りつぶされるまで、もう少し。

一月に一つ、その月にあったお話を。
はい11月ですね! 遅れがきになる今日この頃……。あう。
終わるといいなとか言っておきながら、終わりませんでした。もうちょっとだけ続きます。
ゆっくりまったり、お待ちくださればうれしいです。
それではまた来月。