三月の話。

 記述

 世界は2本の剣で構成されている。
 ひとつは破邪の剣
 ひとつは創邪の剣

 邪は蛇と通じ、世界もまた、それに準じている。

 □ ■ □

 あたり一面の焼け跡。
 焦げた大地、燻る家屋。
 佇むのは一人の少年。
 そして。
 そんな彼に声がかかった。

 □ ■ □

「――夢、か」
 目を開ければ、そこは焼け野原なんて呼ぶにはふさわしくないほどの草原。草は青く。空も蒼く。その限りない空間の中では、小鳥が数羽戯れるように飛んでいる。
 今日も中津国は、何事もないかのようにゆるりと時間を流していく。
 視覚的にしろ体感的にしろ、季節は春に近く。寒さも緩む頃。
 野原のような柔らかな青草の中で寝転ぶのは一人の少年。年の頃は15,6。蒼い空をぼんやりと眺める瞳は深い緑。肩で軽くそろえられた黒髪は草の中に広がり、一房だけ編まれた髪は肩の上に落ち着いている。身にまとう服は白く、飾りといえば両手足首といった要所を括る紐と、簡単な装飾品。シンプルな服装といくつかの荷物。それは旅人として見れば至って普通の格好。しかし、特筆すべきは荷物と共に置いてある剣。実用にしては少々変わった形、かといって飾り太刀というにはシンプル過ぎるそれ。全体的にみてその剣がどこか違和感を思わせる。
 さわり、と吹くそよ風に頬を撫でられ、ぼんやりと空を眺めていた瞼が閉じきる間際。
「梛夜。また寝ようとか考えてるの?」
 からかう様な少女の声。くすりと笑うような、春に似た声がどこからともなく降ってきた。
「……別にそんな事考えてないよ。カナエ」
 梛夜と呼ばれた少年は、驚くそぶりなど見せず。寧ろ、ため息をつくように体を起こして傍らに置いてあった剣を手に取った。剣は手に取られてかちゃり、と小さな音を立てる。
「じゃぁ、傷でも痛むの?」
 傷はもう治ったと思ったのに、と、軽く首を傾げる少女。その仕草は外見からすれば何処と無く幼い。そんな仕草にも「違うよ」とだけ答えた。
「傷ならもう心配ない。ぼくにはここで養生するつもりもないし、なによりそんな事許されない。ぼくは逃げなくてはならない。そうでしょう?」
 少女の声とは対照的に、静かな返答。
 梛夜は伏せるように目を閉じ、そして、開く。
 開いたその視線の先。距離にして数歩程度の所に、先ほどまで存在していなかった少女が彼を見下ろすように立っていた。少年と同じような年頃、腰まで届く長い黒髪。淡い萌黄に黄蘗の上着、臙脂の袴。少年を見る瞳は深い紅色。
「逃げなきゃなんて、そんな事言わないよ」
 そう言って彼を見下ろす少女の目は、姉が弟を心配するよう。何処か暖かく、親しげ。
「梛夜は何も、悪いことなんてしてないじゃない」
 だから、逃げる必要なんてないよ。と。
 心配そうに、それでも気楽さを感じさせる調子で梛夜へと言葉を向ける。梛夜はそんな彼女に視線を送ることなく、剣を持つ手に力をこめ、「でも」と呟いた。
「ぼくが居たから、フヨウの里はあんなことになった。里は無くなって、誰もが居なくなった。フヨウだけじゃない。里だった場所から逃げ出したぼくが立ち寄る村や集落には、必ずといって良いほど災厄が降りかかる」
 彼の声とは裏腹に、青空はやはり、青いまま。
「ぼくを育ててくれた里長や比奈美さんも。挨拶を交わす程度だった人も。親切に世話を焼いてくれた人も、大人子供、関係なく。みんな、居なくなった」
 かちゃり、と。梛夜が剣を握り締めると同時に軽い音がする。
 そして彼は一層小さな声で「それに」と続けた。
「ぼくは――佳秧を……」
 あんな姿に、してしまった。と。

 しばらくの沈黙。
 風が木の葉を揺らす微かな音だけが、通り過ぎる。

 □ ■ □

 あの風景は、自然も寒さにまどろむ季節。
 そこに在るのは、柔らかな草が生える野原でも、人々が集まり他愛ない話をする場所でも、住宅地でもない。それらはすでに過去に存在していたに過ぎないもの。今あるのは、ただただ広がる、辺り一面の焼け野原。
 焦げた大地、燻る家屋。それらはただ、冷たい風にさらされるまま。
 そんな中。置き去りにされたように佇むのは、一人の少年。
 くすぶる煙を吐き上げる周囲の黒さとは対照的なまでに。真白の服に身を包んだ彼は、墨のような黒髪で表情を隠すように。少しずつ白に広がっていく赤い染みなど気にかけていないかのように、ただそこに立っていた。足元に転がるのは、抜き身の剣。実用にしては大きく、飾り太刀にしてはシンプルな刀身には、薄墨を流したような文様が描かれていた。
 冷たく透る刀身に映るのは、果て無き空と、少年の悔やむように握り締められた拳。

 時折吹く風に動くこともなく、少年はただ立ち尽くす。
 ぱたり、と雨音にも似た音を立てて赤が黒と混ざり合う。
 そんな少年の横を、一陣の風が吹き過ぎた。

 風は少年を回り込み、彼の正面で形を成す。
 腰まで届く長い黒髪。淡い萌黄に黄蘗の上着、臙脂の袴。少年を見る瞳は深い紅色。
 少女の形を取った風は、立ち尽くす少年の目の前へと降り立った。
 少年は顔を上げない。前髪で隠れた目からは、傷口から流れる血が涙のような痕を残す。表情の見えない彼は、ただ赤い涙を流して泣いているようにも見える。
 少女は少年の様子に驚き、思わず指先で己の口を押さえる。しかし、すぐにその手を離し、目に涙を浮かべて彼に駆け寄り、背にふわりと腕を回す。
 無事だったことを喜ぶように、怪我の具合を心配するように。
 そして少女は、自分が泣いていることを棚に上げて。彼の背に腕を回したまま。
「――梛夜、涙は透明であるものよ?」
 そう、囁いた。

 □ ■ □

「梛夜……そんな顔、しないで?」
 そっとかけられた声に、梛夜は前髪の間から覗くように少女の顔を見上げた。
 少女の顔は逆光で見えないが、それはさっきと同じような顔に違いない。
 いつものように、自分をからかうような、弟を見るような、母のようで、妹のようで、それで居て、そのどれでもないような、暖かな目で。
 彼女はそこに立っていた。

 適度すぎる距離を保ち。
 いつもの癖で軽く腕を後ろに組んで。
 いつも通りの笑顔で。
 いつもと同じ仕草で首を傾け。
 梛夜は静かに立ち上がり。
 そんな彼女に。

 鞘ごと切っ先を突きつけた。

「ぇ……梛夜? どうしたの?」
 自分の胸元に向けられた剣。鞘とはいえ、切っ先。
 それを困惑した目で眺め、彼と交互に視線をさまよわせて、声を上げる。
 剣は彼女に向けたまま。彼は「近づくな」と一言だけ呟いた。
「とはいっても、僕が剣を持ってたら一定距離以上は近づけないみたいだけど」
 独り言じみた一言に、少女はとても悲しそうな顔をした。
「……梛夜?」
 ちいさく、尋ねる。
 どうして。
 どうして私に剣を向けるの? と。
 悲しそうな少女と目を合わせるのが辛いのか、少年は視線を外して呟いた。
「もう、やめないか……?」
 それはため息のような声。これ以上、目の前のものを見たくない。そういわんばかりの声が、小さく響く。
「やめるって、何を」
「カナエ、君はちゃんと分かってるはずだよ? ――そしてこれは警告。君がやめないというのなら、ぼくはこの剣を」
 言葉を切って、軽くうつむく。長めの前髪が、彼の表情を隠す。
 迷いを断ち切るかのような一瞬の後。
 息をつくように。カナエの目を前髪の隙間から除き見るように。睨み付ける様に。
「この剣を。抜く」
 ただ一言、告げた。
 最終宣告にも似たその響きは、誰も居ない、二人きりの空間に広がる。
 広がり、余韻を残して薄れていく。

 しばらくの沈黙の中、梛夜はただ、目の前の少女をにらみつけている。
 カナエは困惑した表情のまま、少しうつむいては上目遣いに彼を見上げる。

「梛夜……。だから、さ」
 控えめに口を開いたのは、カナエだった。
 そんな目、しないでよ。と。梛夜と剣の間に視線をさまよわせる。その声に混じるのは、微かな怯え。梛夜はそんなカナエを一瞥した後、一つため息をつく。剣を下ろし、鞘の先を地につけた。

 少女が何処かほっとした表情を浮かべたのと。

 少年が地に着けたばかりの鞘から、音も無く剣を抜き去って再び突きつけたのは。

 同時だった。

「――っ!?」
 今度こそ、抜き身の剣。空を照り返す刀身は、瑞々しいまでに、美しい。
 つい、と走る光を軽く流すそれを見て、彼女は息を詰まらせて刀身に視線を落とした
「――言ったろ? 君がやめないなら、僕は剣を抜く、って」
 剣の切っ先を見て蒼白なカナエと、それを静かに見据える梛夜。
 彼の口調は何処までも冷たい。
 これまでの関係が嘘のように。何処までも、どこまでも。
 そう、嘘の ように。

「……何で?」
 俯ききった少女の口から漏れたのは、疑問の声。
 少年は、答えない。
 少女も、口を閉ざす。

 その間は、一瞬。

 彼女の髪がざわりと動く。気配にも似たそれは、梛夜へと一気に向けられる。
 一陣の風が梛夜の束ねた髪を背中へと弾く。
 その隙に振り上げた少女の手には、いつの間にか小刀が握られていた。
 何処か禍々しい煌きが尾を引いて、弧を描く。
 梛夜は咄嗟に腕を引き寄せて剣を返し、刀身で小刀を受け止める。
 小さな火花が散り、剣と小刀の余韻が消える。
 自分と同じ年の少女の力。しかし力は想像以上。支えられないほどではないが、小刀一本にしては、重い。
 両手で小刀を押さえつけて今にも泣きそうなカナエと、そんなの微塵も気に掛けない顔のまま片手で大振りの剣を支える梛夜。
 睨み合う事すらなく、少女は小さく刃を引いた。

 その隙。
 少年が逃すはずは、ない。

 目の前に居るのは、数ヶ月の間を共にした少女。身体は朽ち果ててしまったものの、自分の前に現れたその日から、よく笑い、よく怒り、拗ねては笑い、ころころと表情を変える。襲撃を受けて酷い怪我負えば、涙を流して心配してくれる。それが、目の前に居るこの少女。

 しかし、鞘を取り払った彼に迷いは無かった。
 この剣は、オロチを薙ぐもの。
 その名を――那智。
 そして。
 それは何一つ躊躇うことなく振るわれ。

 彼女の胸は、背丈ほどもあろうかという刃に貫かれていた。

「……な、んで?」
 どこか苦しそうに呟く少女の問いに、少年はただ冷たい目を向けた。
「気付いて、たんだね」
 刃に軽く触れる指が、音も無く消える。
「私が引き金を引いたことも、追っ手を差し向けたのも」
 青い空。指先から薄れていく、刃に貫かれた身体。
「君を、追い詰めてたと。思ってたんだけどな」
 悲しそうに目を伏せて、消えていく身体を眺める少女。
 少年は、答えない。
 少女の身体は、どんどん薄れていく。そういう状況に置かても、少女は問いかけをやめなかった。
「いつから、気付いてたの……?」
「――最初から」
 ようやく口を開くも、酷く簡潔な一言。
 それでも彼女は目を伏せて嬉しそうに笑った。
「最初から、か…………それじゃ、最後に一つだけ。これで、最後の質問」
 少女の身体が、薄れていく。
「どうして、分かっちゃったのかな」
 梛夜は一瞬ためらった後、口を開いた。
「佳秧は、絶対に人前では泣かないんだ。泣くのはぼくの前か、一人で居る時。必ず周りに誰も居ないことを確認しないと」
 一瞬の、間。
 消えかかった彼女の眼をまっすぐに見て。
「ぼくが死んでも泣かない」
 カナエと呼ばれていた少女は、目を閉じたまま。
 そっか、と一言。
 風のように残して、消えた。

 □ ■ □

 少女が居なくなった後。
 梛夜は剣を力なく落とし、ため息をついた。
「女の子を問答無用で刺すなんて、梛夜ってば冷たいなー」
 突然上から軽い声が降ってきた。
 軽くて明るい、春の風に似たそれは、先ほどと同じ声。たった今目の前で消え去ったはずの、少女と同じ。その声。
 声につられて上を見上げれば。
 梛夜の視界に覆いかぶさるように、少女が一人、降ってきた。
 飛びつくように降ってきた少女には、重さなど無い。
 それこそ風のように軽く彼の肩に手をついて、ふわりと地に足をつけた。
 梛夜と同じような年頃、腰まで届く長い黒髪。淡い萌黄に黄蘗の上着、臙脂の袴。少年を見る瞳は深い紅色。
「久しぶりだね、梛夜」
 寸分違わぬその姿で、少女はにっこりと笑い。
「うん、久しぶりだね。佳秧」
 寸分違わぬその姿に、少年は軽く笑いかけた。

 □ ■ □

「ぁ、梛夜」
「何?」
 道を歩く少年に、ともに歩く少女が思い出したように声をかけた。
 呼ばれた少年も、歩を止めることなく返事を返す。
「私だって、人前で泣くことくらいあるわよ?」
 梛夜が勝手にそう思い込んでいるだけなんだから、と少しだけ拗ねた様に呟くと、梛夜は「本当に?」と聞き返した。
「本当よ」
「里長とか比奈美さんの前でも?」
「あるわよ。私の父様と母様だもの」
「幼子の頃は入らないよ。10を超えてからは?」
「……ない」
 何処か悔しそうに呟かれた言葉に、梛夜は小さく笑った。
「ほらね。ぼくはいつも巻き込まれて。泣く君を宥めないといけない」
 強くあろうとする姿勢はいいと思うし、これからもそうであってほしいよ。と。春めいた風に髪を軽く梳かれながら、二人一緒に、歩いていく。

「――」
「うん? 何か言った?」
「……何も」
 それに続いた冷たい言葉は、暖かな春風に乗せて。
 

 いつか来る、その日のために。

 ぼくは、逃げなくてはならないんだ。

一月に一つ、その月にあったお話を。
はいはい。かなり遅れまして三月です。
寒さも緩む、出会いと別れとその他諸々の季節ですね。
この話、さりげなく長くなりそうなので今回は此処だけを。最後の一文は、彼の諸々の決意なのかもしれないですよ。どうなるんでしょうね。この二人。(ぇ
トップ絵の女の子は、本物の佳秧ちゃんです。はい。偽者じゃないですが、あの二人の関係ってこんな感じです。
それではまた来月。