七夕とは、實に不思議な夜でございますね。
年に一度、天川の對岸に居る戀人が會えると云ふ、そんな傳説も殘る夜ですから。
その傳説、浪漫があって素敵だと思われますか?
――そうですか。それならば、お客樣にこの品を一つお見せしましょう。
あぁ、ただの石なんて思わないでくださいませ?
これは不思議な勾玉なのでございます。この一対、私は「七夕の勾玉」と呼んでおりますが、その名の通りで、七夕の夜にだけ不思議なことが起きるのです。
――お客樣、信じていらっしゃらないようですね。
では、この勾玉のお話を致しましょうか。
ぃぇ、これに傳わる傳説なんてものはお話しませんよ。そんなの話しても胡散臭いとお思いになられるでしょう?
これからお話しするのは、前の持ち主のお話で御座います。
そうそう。これをお話しする前に一つ。
そのお茶、召し上がってくださいませ?
□ ■ □
――――。
気が付いたら、放課後だった。
えぇと、僕は今何をしていたんだっけ。
机の横に立ったまま、自分の置かれた状況を思い出す。
外から聞こえる運動部の掛け声の中に混じって一言、「馬鹿」という声が聞こえた気がした。
――あぁ、そうか。
僕はついさっき、ここで彼女とケンカをしたんだ。
左の頬が熱いのも、気のせいなんかじゃない。
僕の目を真っ直ぐ見つめた、今にも泣きそうな眼が、ふとよぎる。
夕方の教室は、外と中とでこんなに違うのかというほど、騒がしさと隔離された静かな空間。僕一人が、外の喧騒から置いてきぼりを食らっているような。
ここでこうやって立ち尽くしていても、時間は過ぎていくだけだ。さてそろそろ帰るかな、と何処か重い気持ちのまま、教科書を詰めたリュックを肩にかける。
――かつん。
肩にかけた瞬間、そんな硬い音がした。
振り返って足元を探すと、白い石が落ちていた。
拾って見ると、真っ白というわけではなく、何処か赤みがかかっていて。表面はガラスのようにつるつるしている。でも、色や表面なんてどうでも良いくらい特徴的なのはその形。
魂をこんな形で表現する人は多いな、というあの形。
自分はこんなものを持っていたのか?
石をまじまじと眺める。穴が開いてはいるものの、紐がついているわけではなく。
もしかしたら、彼女が落としたものかもしれないな、と何気なくポケットへ滑らせ、教室を後にした。
帰り道。
繁華街を通って駅に着いた瞬間、携帯が鳴った。
マナーモードだったので、音楽での判別はつかない。ポケットから取り出して確認すると、そこに表示されたのは自分の番号だった。
メッセージには一言だけ「星架電停」と書いてある。
星架電停は駅前の路面電車で一駅のところだ。繁華街とは反対方向で、住宅地とも遠いという、なんとも中途半端な電停。近所にあるのは小さな池がある神社を兼ねた公園くらいか。
子供の遊び場、というわけでもなく。参拝者でにぎわっているというわけでもない。
本当に、静かな場所。
空はまだ明るい。
別に早く帰らないといけないわけではない。どちらかというと、今日はこのまま家に帰る気もしない。できる事なら寄り道をして帰ろうと、僕はちょうど良いタイミングでやってきた路面電車に乗り込んだ。
電車を降りると、また携帯が鳴った。
今度は電話のようだが、相変わらず相手の番号は僕の携帯だ。
さっきのメールに付き合ったんだ。と、軽い気持ちで通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「――――もしもし」
聞こえてくる声は、女の子のものだった。
彼女の声、では無い。もっと年の低い、中学生あたりかなと思えるほどの幼さを残したもの。
どこかおどおどしたようなその声は、「そこはどこですか?」と問いかけてきた。
「星架の電停だけど……」
君は一体誰?これはどういうこと?と言葉を続ける前に、どこか安心したようなため息が聞こえ、電話は切れた。
「もしもし?」
ちょっと?と話しかけても、聞こえるのは通話が途切れた後の規則正しい電子音。
府に落ちないまま携帯を閉じると、後ろから足音が聞こえた。
□ ■ □
――――。
規則正しい音と、人のざわめき。
それは、ちょうど動き出した路面電車の音。
周りの状況を理解した瞬間、どこか気分が重い事に気づいた。
それは記憶を探るまでも無く、ついさっきケンカした事が原因。
原因は私にあったのに、彼は全然悪くないのに。あんまりな言い方だったから、気がつけば彼の頬を力いっぱい叩く音が教室に響いていた。
驚いたように私を見る、あの目を思い出す。
そうだ。私はあの目に耐え切れなくて教室を飛び出したんだ。
涙をこらえて、熱い右手を握り締めて。
走ってそのまま、電車通学でもないのに、この電車に飛び乗ったんだった。
ため息をひとつついて握り締めていた手を緩めると、かつん、という音を立てて、何かが私の手から落ちた。
慌てて拾い上げて、眺める。
薄青の勾玉。
私こんなの持ってたっけ?と軽く首を傾げてみるも、私の手から落ちたんだから、私が持ってたんだろう。
もしかしたら、彼のかも。と鞄のポケットへと落とした。
と。
鞄の中に勾玉が滑り落ちた瞬間、携帯が震えた。
淡く光るサブのディスプレイには、なぜか私の名前が映されている。
気味悪いな、と、無視する。
けど、携帯の着信は終わらない。そろそろ次の電停。
どうせ、勢いで飛び乗ったこの電車。
停車のベルを押して、静かな神社近くの電停へと、降りた。
電車を降りても止まない携帯の着信を無視して、近くの神社へと向かう。
涼しい境内でしばらくぼんやりすれば、どうやって謝ろうかと考えられるだけの落ち着きは戻るんじゃないかと。そんなことを考えながら、涼しい風の吹く場所へと向かった。
まだ涼しさの残る木陰をとぼとぼと歩く。携帯はまだ止まらない。
――――あぁもう。
留守電はセットしてあるはずなのに。と、携帯を開き、通話ボタンを押す。
「……ぁ、もしもし?」
耳に当てた途端聴こえてきたのは、男性の声。
彼ではない。誰か。
どこと無く申し訳無さそう、というか情け無さそうなその声は、私と同じくらいか少し上なのではないだろうか? とにかく、若い男性の声だ。
「何の用でしょうか?」
今の自分の感情を隠すことなく出た言葉に、男性は「すみません」と小さく謝った。
すみません、か。
私もこうやってすぐに謝れば良かったんだ。そうしたら、あんな事にはならなかった。携帯を持つ掌がどこと無く熱い。
「あの、お願いしたい事があるんです」
聞いて頂けますか? と尋ねるその声。
「……私、忙しいの」
「あぁ、そうでしたか」
そしてまた、すみませんと謝る。
「でもですね、貴女の用事と平行して出来るようなものなのです……というか、平行してもらわないと僕が困るといいますか……」
何を言ってるんだろう。
そんな風に思った途端。
「とにかくですね。星架の電停へ、向かっていただけますか?」
始終どこか申し訳無さそうなその声で一方的に頼みを言ったその電話は、その言葉を最後にぷっつりと切れた。それはもう、潔良いくらい。
携帯を閉じて、辺りを見回す。
人は、居ない。ただ風が吹くだけ。
さわさわと揺れる葉の音を聞きながら深呼吸をひとつだけ。すみません、というあの声がまだ耳に残っている。
しょうがない、と小さくため息をつくという、いかにもな理由をつけて、私は停留所へと足を戻した。
□ ■ □
星架の電停。電車はもう、停留所を過ぎている。
振り返れば、彼女が居て。
電停には、彼が居て。
「ぁ……」
お互い声を上げて、立ち止まり。
どこと無く気まずい雰囲気のまま、風が過ぎる。
「ぁ、あのさ……」
口を開いたのは、彼。
「ぅ、うん」
「その……悪かった」
少しだけ視線を落として謝る彼に、彼女は小さく首を横に振った。
「うぅん。悪いのは、私だから……。私が本当は謝らなきゃいけないんだよ」
そして、髪を右手で耳にかけ。
「私の方こそ、ごめんね」
彼と同じように、小さく俯いて謝った。
その瞬間。
ポケットから。
鞄から。
淡い光が漏れた。
二人がその光に気をとられた隙。
そう、それは瞬間の出来事。
僕の隣を、ひらひらした着物を着た、中学生くらいの女の子が。
私の横を、蒼い服を着た、高校生くらいの男の子が。
ふわりと通り過ぎて。
もう一歩ずつ近寄ればくっつくほどの距離で立ち止まった。
「……やっと、会えたね」
頬を赤らめ、とても嬉しそうな笑顔で呟く少女。
「そうだね」
同じように嬉しそうな笑顔で返事をする、少年。
「会えなかったらどうしようって、思ったよ」
「うん、僕もだよ」
少年がその言葉を言い終わるが早いか、少女はあっという間に距離を詰めて。
少年に飛びついた。
少年は、そんな彼女を優しく抱きとめて。少女の頭を優しくなでる。
少女は少年に抱きついたまま、小さく肩を震わせる。
「一年……すごくすごく、長かっ…の……」
微かに言葉を詰まらせながら、寂しさを少年へとぶつける。
少年は「よく我慢できましたね、偉いですよ」と優しく彼女の頭を抱く。
そして、そのまま。
初夏の陽炎だったかのように。
最初から何も無かったかのように。
気がつけば。
そこに立っていたのは彼と彼女。二人だけだった。
□ ■ □
――お目覺めになられましたか?
如何でしたか?何とも不思議な話でしたしょう?
えぇ、もちろん今のは實話で御座いますよ。
信用するかしないかは、お客樣。貴方次第と云ふ譯です。
はい。あの二人、で御座いますか?
それはもう、貴方のお察しの通り。
古の傳承でご覽になった事があるでしょう。年に一度だけ會ふ事を許された、あの二人ですよ。
ただ、いつの頃からかこの石が彼らに制約をかけてしまいましてね。
お互い想い人となっている二人を結びつける――えぇ、戀を成就させることでも構いませんよ。そうしないと出會ふことが出來なくなっているのです。
そしてこの石はどうも氣紛れな所が御座いましてね。
何時、何處に現れるか。それは私にも分からぬのです。
若し見かける事が御座いましたら、どうぞお手に取って下さいませ。
きっと、七夕には不思議な事が起こりますから。
さて、少々喋りすぎましたかね。
それでは今宵は店仕舞いといたしましょうか。
お客樣、萬が一また見かける事がありましたら、どうぞ足休めにでもお立ち寄りくださいませ。
また、その時は新たな商品をご用意してお待ちしておりますよ。