十二月の話。

 小さな庭の枯れ葉を箒で集めていると、白くてふわふわしたものが鼻の頭に落ちてくる。
 あぁ、今年もまた、雪が降った。と、小さくため息をつく。

 僕の記憶には鍵がかかっている。
 世界にひとつの対なるもの。それを作るのが大好きで。そのまま鍵職人なんてやっている。
 自分が開けられない鍵はない。対になる鍵以外で開けられるようなものは作らない。鍵はなんにでもかけられる。トランク、玄関、音楽。枷に関係。そう、記憶にだって。
 僕にかけられない鍵は、ない。
 それが、この世界唯一の鍵職人である僕の誇りある仕事。

 だけどひとつだけ。すぐにがたがたと音を立てる鍵がある。
 その鍵の存在は、雪が降ると一層明確になって、僕を少しだけ憂鬱にさせる。

 その鍵はきっと、自分が一番最初にかけた鍵。
 どうして鍵をかけたのか。それは僕にもわからない。
 なのに、ふとした拍子にがちゃりと音を立てるから、一層気になる。
 開けたら何があるんだろう。そう考えたことがないわけでもない。
 でも。
 開けたらいけない。そんな声が聞こえる気がして。
 僕の頭にかかっているその鍵は、開けてはいけないのに、自己主張が激しい。
 僕が、僕自身に掛けた鍵は、何か必要があって。そして、決して開けてはいけないもの。そう。あけては、いけない。開けても良い事なんて、決して無い。
 そう。
 それが、僕の鍵。

 □ ■ □

 ある日、部屋の片付けをしていると、本の頁の間に小さな紙切れを見つけた。
「鍵は厳重にかけた。次が最後の一個。もう、大丈夫」
 殴り書きのようなそれ。
 自分で書いた覚えが無い。というか、これは僕の字じゃない。
 軽く首を傾げてみても、それが何を意味するのかなんてわからない。とりあえず、テーブルの上に置いておく事にした。

 部屋の片付けは大体終わった。後は今年最後の仕事を待つばかりだ。

 今年最後。それは今年の鍵を閉めること。
 前の年に迷い込まないよう、過ぎ行く年に施錠をして、来年の鍵を開ける。
 年越しをするための、大事な大事な仕事。

 と、開いた窓から強い風が入ってきた。
 それは雪と一緒にカーテンをめくりあげ、本の頁を早送りさせ、壁に掛けられた鍵を奏で上げて去っていく。
「――すごい風だったなぁ」
 風でずれた帽子をかぶり直して目を開けると、片付けのおかげか、部屋はそんなに散らかってはいなかった。
 窓を閉めて、辺りを見回す。
 被害といったら、少しだけ部屋に散らばった雪。場所によってはもう、水滴になってしまっている。それからテーブルの上のランチマットがひっくり返っている所と−−あの、メモが部屋の外へ飛んでいってしまったこと。

 あぁ、あのメモ。何だったんだろうなぁ。

 □ ■ □

 また雪が降り始めた。
 止んだと思ったらすぐにまた降り始める。かといって積もるわけでもない寒さ。庭に溜まった最後の落ち葉を箒で掃き集めながら、空を見上げる。白い息の中をちらりと舞うそれを見る度に、僕の鍵は相変わらずガチャリと音を立てる。あぁ、また。と、ため息をひとつつく。庭の掃除なんて手に付かない。
 雪が。鍵の音が。気になって。

 こういうときは、出かけるに限る。
 箒を庭の隅に立てかけて、玄関の鍵をかけて。
 特に行き先も決めずに足の向くまま気の向くまま。

 特に行き先の無い場合。
 僕はたいていここへたどり着く。

「君はまた来たのか」
 家の高さなんか軽く超えてしまうようなキノコの上。そこから雪と一緒に落ちてくる声は、いつもの通り、やる気が無い。
「だって、ここが一番鍵が静かなんだ。いいじゃない」
 適当にいつもの返事を返して、僕もキノコの上へと続く梯子を登る。
 遠目に見れば表面は滑り易そうなそれも、登ってみるとそうでもない。ブーツの底をいい具合に支えてくれる。
 きゅ、とブーツを軽く鳴らして、声の主の下へ。
「……他にもキノコはあるだろうに」
 どうして君はそうなんだ、と続きそうな声を無視して座る。
 黒い上着に黒い服。革の靴から胸元のタイまで。良く見ればきっちりと着こなしているのに、無造作に肩まで伸びている金髪とやる気の無さで台無しだ。そんな彼は前髪を無造作に掻き上げながら、咥えたタバコをくゆらせる。
「で。またアレなのかい?」
 ふぅ、と煙を空中に泳がせ、それを見つめたまま厭きれた様に呟く。
 僕はそれに「まぁね」とだけ答えて、空を仰ぐ。
 ちらちらと降ってくる雪は、キノコの上に積もることもなく。ただ鼻先を掠めて解けていく。
「もう、この鍵どうにかならないかな」
 開けて掛け直すことも、考えなかったわけではない。でも、開けちゃいけない。
 だから。
 開けないまま。どうにかならないかな。なんて安易な考えに走ってみる。
「それはどうにもならないね」
 返ってきたのは相変わらずこちらを見もしない返事。
「なんでそう、言い切れるのさ」
「それは割れた卵だからさ」
 割れた卵。と小さく繰り返す。
 鍵のかかった、割れた卵。
 割れた卵。それは、壊れたウサギ。
 一度だけ見たことのある、壊れた卵と呼ばれていた少女。深くかぶった帽子から覗く、あの暗い瞳を思い出す。僕が? なんで? なおさら訳が分からない。
「何で僕があの子なの?」
 問いかけても、答えはなかった。

 □ ■ □

 明日は一年の鍵をかける日。
 それに備えて早めに眠りに付いた僕は、気が付いたら古いドアの前に立っていた。
 雪がしんしんと降り注ぐ小さな部屋。出入り口はここだけ。
 部屋から出ようと、ノブに手をかける。が。ガチャリと音を立てるだけ。
 あぁ、これは鍵がかかってるな。と、しゃがんで鍵穴を覗きこむ。
 向こう側の風景は見えない。でも、ここから出ないと僕は明日の仕事が出来ない。
 困ったなと首を傾げた直後。
「ぁ、鍵を開ければいいんだ」
 なんて簡単な解決策。
 覗き込んだ鍵穴に合う鍵を。そう考えるだけで、手のひらに握られる鍵。
 そう、僕に開けられない鍵なんて無い。
 手のひらの鍵は、冷やりとしていて。細かく施された装飾にその形状。それは結構古いものだな、とか頭の隅で考えながら、何のためらいもなく鍵穴に差し込む。
 吸い込まれるように鍵穴に差し込まれた鍵は、軽くひねるだけで錠の開く音がした。
 がちゃりという、重苦しくも軽い音。
 そして扉は、あっさりと開いた。

 そんなこと。するんじゃなかった。
 それはあっという間の後悔。
 しかし、後悔なんて、もう、遅い。


 僕の目の前に広がる光景は、覚えが無いけど良く知ったもの。
 二つの人影。
 地面にうずくまるのは。白いブラウスに、ワインレッドのスカートの、長い黒髪の女の子。
 その前に立って、少女を見下ろすのは。黒い上着に黒いズボン。革の靴から胸元のタイまできっちりと着こなす細身の身体。細い金髪をひとつにまとめて背中に流し、タバコを咥えた青年。
 周りには雪が降っている。積もりそうにふわふわと。

 きっとこれは、あの鍵だ。
 雪が降るたびにがちゃりと音を立てる。
 あけてはいけない、あの鍵。

 僕はただ、目の前の二人を見ている。
 視界に広がるのは、青年の革靴と、地面。

 頭が、痛い。
 視界が少女と同調する。

 何で。どうして。

 自分と同時に、少女の口から同じ言葉が寸分の違いなく漏れる。
 夢の中の少女はぶつぶつと呟きながらうずくまっている。
 なんでなんて。どうしてなんて。そんな事いわないで分かってる。
 嫌よ。いや。
 ワタシはただの身代わりなの?
 痛む頭を抑えて、空気を吸おうと懸命に口を動かす。
「そう、このセカイにとって、君はそうでしかない」
 目の前のヒトは、煙草の煙を吐きながら静かに言う。
「ここには『彼女の名を持つもの』が必要なんだ」
 そんなことを言われても。『彼女』は『彼女』だ。
 名前を持っているからといって、代わりになれるはずはないじゃない。
「しかし、『彼女』は身代わりを望んでいる」
 だから、君のように迷い込む者にその役割が降りかかるんだ。
「そして君は、それには耐えられないようだね」
 青年は静かに声をかける。
「君はハンプティになってしまう」
 ハンプティ。それは壊れた卵。
 ハンプティ。それは壊れた少女。
「壊れるのは、嫌かい?」
 ポツリと投げられる問いに、ワタシは力が抜けたように頷いた。
 そう。
 このまま壊れてしまうなんて、嫌。
 青年はそんなワタシに目を向ける。その瞳に浮かぶ表情は、前髪に隠れて読めない。
「壊れてしまうのが嫌ならば」
 青年は手を軽く握り締めて口を開いた。
「壊れてしまうその前に、割れた場所をしっかりと閉じて。鍵をかけてしまえばいい」
 それは朗読のように。決められた科白のように。
「他の誰も身代わりになれない。そんな役割に成ってしまえばいい」
 肩へかかった金髪を背中に払う様に首を振ると、哀しそうな目が、ワタシを見下ろしていた。
「君に、俺の役割をあげよう」
 そう呟く彼の手には、小さな鍵。
「さぁ、これで君は誰の代わりでもない。君にしか出来ない役割を持った、世界にただ一人の必要な人材だ」
 彼を見上げる。
 ワタシは一筋だけ涙を流して、静かに目を閉じた。

 少女が青年の腕の中に崩れ落ちるのを見届けて我に返った僕は、逃げるように古ぼけた扉をくぐり、しっかりと、二度と開かないように鍵をかけた。

 目を覚ますと、朝だった。
 何か変な夢を見た気もするけど。目覚めはやけに爽快だった。
 窓の外は、雪。
 しかし、不思議と鍵は音を立てなかった。

 さぁ、今年も一年の終わりに一仕事。
 過去に戻ることのないように。二度と開かぬ施錠を。

 □ ■ □

 一年の施錠を終えた後。
 僕はキノコの下へとやってきた。
「何だって君はいつもここなんだ」
 彼はいつものようにタバコをふかしながら、新年の夜空を眺めている。
 タバコの煙と、白い息が、夜空に流れる。
「他にもいいキノコはあるだろうに?」
 ため息のように煙を吐き出して、その煙にいつもの科白を乗せる――前に、僕が同じ科白を彼に返す。
「……そう。他にも眺めのいいキノコはたくさんある」
 なのに、どうして君はそうなんだ、という科白を遮って。
「だって、君がここに居るってことは、ここが一番言い眺めだって事でしょ?」
 違うの? と、帽子のつばを少しだけ持ち上げて彼を見ても、振り向きもせず。
「まぁ、ね」
 なんて、相変わらず煙草を咥えたままの適当な答えが返ってきた。

 □ ■ □

 彼女が帰った後。
 満天の星空をキノコの上から見上げる。
 少し視線を落とせば。小さな家が見える。それは未だ幼い、鍵師の居場所。
 彼女に鍵を与えたのは、もうどれくらい前のことか、と、煙草の煙を空に泳がせて思い出す。

 あの日。
 自分が鍵を与えて。
 少女の記憶に鍵をかけた。
 記憶だけでなく成長にも鍵をかけるそれは、壊れた卵を無理やり修復したものに近い。
 雪の季節。音を立てるあの鍵は、その割れ目からもれるのだろうか。
 なんて。殴り書きのように文字が綴られたメモをぼんやり眺めて小さく息をつく。

 鍵をかけた少女と、自分。
 鍵職人となった少女と、職人であることを放棄し、傍観者であることを選んだ自分。

 自分は少女に鍵を渡したそのときから、このキノコの上で。
 ただただ、セカイが求める『彼女』の代わりとなる少女を、ぼんやりと待っている。
 少女はいつの日かまた、現れる。
 その時に自分は何が出来るのか。

 しかし。今の自分にそんなことで悩む必要なんてない。
 自分には、自分の存在意義に等しい鍵を与えた少女を見守るという役目がある。
 優先順位はこっちが上だな、と軽くため息をついて。
 明かりのともった少年のような少女の家を眺める。

「このキノコからが、一番。自分の見守るべき少女が良く見えるんだ」
 ただ。僕、という一人称はどうかと思うのだがね……。と、誰に聞かせる訳でもなく。

 静かに星空はくるりとまわり。
 今年も一年。
 セカイは『彼女』を待ち続ける。

一月に一つ、その月にあったお話を。
十二月です。雪です。寒いですね。
雪、一年の締めくくりということで鍵。この子も設定だけ出来ててパターンです。
ちなみに、時折トップに現れるウサギと同じ世界設定でゴザイマス。
来年もいい年になりますよう。
と、いうわけで。それではまた来月。