僕のパソコンの中には、一人の少女が居た。
毎日夜の数時間という限られた時間だったけど、数年間いろんな話をし続けた。それは昼間友人と何をしたかとか、部活で合宿に行ったとか。内容はあたりきで他愛ない。それでも、すごくすごく充実した時間だった。
それが高校二回目の夏休みも終わり間近になったある日。「今日までお話してくれてありがとう。楽しかったよ」なんて言葉だけを残して、パソコンの中の少女は突然居なくなった。
数日その言葉の意味が分からず。彼女はこのパソコンの中から居なくなったのだと意味が理解できた後は、彼女にちょっとだけ好意を寄せ続けてていた僕は何かを無くした様にぼんやりと残りの夏休みを過ごした。
パソコンを付けても、彼女は居ない。どこかに消えてしまった。
跡形も無い。
かけらも無い。
いつもと同じなのに、何かが足りない画面。
こういうのは時間が解決してくれる、ってよく聞くけど。僕も例に漏れず時が過ぎたらそうなんだろうな。とかなんとか。適当に音楽をかけながらそんなことを考える。
そうしてそのまま始まる新学期。
宿題をつめた鞄を抱え、一学期のように友達と軽くふざけあいながら校門をくぐる。
教室は、久しぶりに顔を合わせた友人との談笑の場。ずいぶんと様変わりした女子。部活か海か。やけに真っ黒になった男子。宿題が終わってない誰か写させてと騒ぐ人。思い思いの夏を過ごし、満喫したらしく、いつも以上に騒がしい。僕は部活といっても文科系。外で活動することはそう無いので、変化なし……あぁ、変化はあった。ただ、それは内面の話。いまだにぼんやりしたまま、その程度の変化。
始業式を終え、上履きをつっかけて渡り廊下をぞろぞろ進む。蟻の行列みたく、一様に同じ方向、教室へ。さぁ、この後は担任のお話と宿題提出が待ってる。さっき騒いでた奴は終わったのかなんて、普段気にかけないようなことをちらりと考えてみる。
……それでもやっぱり、この気分は収まらない。
机に頬杖ついて、夏休みの生活はどうだったかなんていう話を聞き流し、宿題を前へとまわし、遠出してきたらしいクラスメイトからのお土産をぼんやり受け取り。ちなみに一ドル札柄のボールペン。どこに使うか悩みものだが、ペン立てに放り込まれて終わりかな。
そうしてそのまま、起立気をつけ礼で解散。速攻で騒がしくなる教室。それは午後の予定とか夏休みの思い出とか。僕はそんなの気にもかけず、教室を出る。
今日も家に帰ったら、パソコンの電源を入れる。そして、寂しくなった画面を眺めながら、音楽でも聴いてサイト巡りでもするのだろう。なんて考えながら靴を履き替え、売店で買ったジュースにストローを刺しながら門へと向かう。
「船江、君?」
校門を出た直後。躊躇いがちな声が後ろからかかった。船江、なんて苗字は居そうで居ない。この学校にも、僕と妹の二人だけ。と、言うことは呼び止められたのは間違いなく自分か。
ストローから口を離して振り返る。
校門に背を預けるようにして立っていたのは、見知らぬ子。
背は平均的。肩より少し長い、こげ茶の髪。邪魔にならないようにか、女の子らしいヘアピンで留めてある。それからちょっと茶色がかった、おとなしそうな目。
顔も知らなければ制服だって知らない。そもそも制服がブレザーなこの学校では見るはずも無い、紺地に白い二本線で青いリボンのセーラー。
「ぇっと……僕に何か御用で?」
ぼんやりしたままさして戸惑うこともなく、少女へ向き直る。
少女の方が戸惑ったような顔をしている。少しだけ視線を泳がせ、自信なさそうに口を開く。
「間違ってたらごめんなさい。船江……健吾君、ですよね?」
「うん、僕だけど?」
その答えは、彼女にとっていいものだったらしい。安心したようにため息をついた後、今までの自信の無さはどこかへ行ったような笑顔になった。
「よかった。これで会うのは初めてだから、私も不安だったんだ。分からないのも無理ないね」
夏の終わりに言うのもなんだけど、春のほうが似合うような笑顔。
なんだか申し訳ないが、顔にも服にも見覚えはない。ない、けど。その声だけは。
「もしかして」
自分の声が変な感じだ。ついさっきまでジュースを飲んでいたのに喉が渇いている。
少女は僕の言葉を全部聞く前に、うん、と一つ頷いた。
「これで、パソコンで話しかけなくても大丈夫だね」
そう言って微笑む声は、僕がずっと聞いてきたそれ。
こうして。
僕のパソコンの中から居なくなった少女は「これからまた、よろしくね」と、戻ってきた。
僕はまた、今までのように夜の数時間を彼女との他愛ない話で埋めるんだろう。
それはきっと、今までよりもずっと楽しいこと。
そうして僕は、今日もパソコンの電源を入れ。ちょっとした好意を少しずつ育てながらディスプレイに向かっている。