放課後のひと時というものは本当に気楽でいいものだと思う。
部活に行く人、さっさと家へ帰る人、教室でお喋りに花を咲かせる人。塾へと足を急がせる人。僕はそれらのどれにも属さず、今日も図書室へ足を運ぶ。
使わなくなった教室の壁を取っ払って作られた図書室。そんなに高くないけど、天井まで届きそうな本棚。足音を消してくれる絨毯。誰もが沈黙を守るような、喧騒を許さない静寂。その独特の雰囲気を味わうために。
今日も薄暗くなった図書室を歩き回る。借りていたシリーズ物は読んでしまったので新たな本を探すために。
向こう側が本の隙間から見える本棚を眺めながら、何か思わず読みたくなるような本のタイトルを見て回る。これがいつもの探し方。惹かれるタイトルを見つけたら手に取る。読み終わったら同様に歩く。この繰り返し。これまでも、これからもずっと続けていくんだろうな、なんて思ったりする位なじんだ方法。
閉館間近の薄暗い空間は既に僕1人。足元の絨毯はいつものように足音を消して、存在感と地に足がついている感覚をなくしてくれる。いつものように心地いい曖昧な感触に包まれながら向こう側の本棚を視界の隅に捕らえながら進む。
――と。
今一瞬、何か違うものが見えた。
それは本ではなく、景色。
いつもだったら「見間違いかな」なんてあっさり通り過ぎるだろうが、こんな不思議な時間のせいか、数歩だけ歩みを戻した。
端から2列目。下から三段目。
そこから見える景色は向こうの本棚などではなく。自分の目を疑うようなだだっ広い空間だった。石造りの神殿のようにも見える、広い一室。それでも隅まで見えるほどに明るい。あまりの場違いな光景に目をこすってみたが、効果は無い。
「……寝ぼけてるのかな」
呟いた途端、視界に変化があった。いや、あったというのはおかしい。向こうからも覗きこまれたのだ。それはほとんど見る事のできないような綺麗な紫。パッチリと大き目な瞳はまっすぐこの空間を覗いている。いや、俺を覗いているのか。
「……ふむ」
その瞳が瞬きを一つして小さく呟いた。何事かと身構えて口に出すより先に。
「ソチのセカイはそれでスベテなのか?」
その言葉は僕達が通常使う言葉とは少し違った響き。外人が片言の言葉を喋るようなのとはまた違う、聴きなれない発音。抑揚が無いわけは無く。でも違和感を感じるような。
「ここは図書室で……」
「トショシツ?」
ぱちくり、という表現がぴったりのような。それは何かと尋ねる目。
「本がたくさん置いてある部屋、かな……」
その説明が的確だったのかどうかはその目を見れば十分だった。あぁ、なるほど。と疑問が綺麗に解けたような目だった。
「なるほど。それユエにホンしかミえぬのか」
ひとしきり納得して視線を僕に戻す。
「ソチのセカイはそのようなクウカンがモウけられているのだな」
うらやましいのぅ、とぽつりと呟く声が聞こえた。
しかし、その声はそれっきり。
僕が瞬きをした途端、本棚の奥の世界は今まで無かったかのように消え去った。その後には、他の棚とヽ景色が広がるだけ。そして同時に、閉館を告げる音楽が流れ始めた。
あれは一体なんだったのか、今でも時折考える。
あの紫の瞳の持ち主は、今もどこかの世界を覗いては、様々な事を出会った人に尋ねているのかもしれない。それはある意味、限定された空間だけを覗き込む旅人のようなものだったのかも、と。
それから僕はというと。
二度と会う事の無さそうな紫の瞳にもう一度会ってみたくて、今日も夕暮れ時の本棚の間をうろうろしている。「タイトルだけで惹かれるような本との出会い」を口実に。