それは叶わなくてもいいかななんて、諦めに似た期待を持った片想いのつもりだったけど。
大学入学すると、一気に世界観でも変わるのか。
新しい環境で浮かれたままカップル誕生とかで、華々しく春を迎えたりする人もいる。
私はそんな状況に乗っかる事もなく夏になった。
でも、別に好きな人がいないとかそんなわけじゃない。ちゃんと、いるにはいたりする。
「私、岩永君と付き合ってるんだ」
そんな私、水沢 要が同じサークルの村瀬先輩からそう聞いたのは、夏休みの終わりごろ。
岩永先輩は、私と同じサークルの4年生。サークルの中で中心的な場所にいるわけではないけど、とても明るい先輩。背が高くて、ちょっと茶色い寝癖のついた髪が、個人的にお気に入り……じゃなくてっ。まぁ、簡単に言うと片想いの相手、なわけです。
私は平和に岩永先輩とお喋りできれば十分だったのに、そこになぜか勝ち誇った様子で現れたのが同じく4年生の村瀬先輩だった。
背が高くてすらっとしている先輩にしてみれば当然の報告なのかもしれないけど、私にとってはおおごと。もしかしたら先輩とお話できなくなっちゃうかもしれない、なんて。しょんぼりしてみたりもする。
そのまま後期の授業が始まって。サークルでも変化が出てきた。
村瀬先輩と岩永先輩が一緒にいるのを見かけるのが多くなってきた。といっても、そんなべったりするわけではなく一緒に喋ってる程度。隣にいる時は私が部屋に入ってから出て行くまで、村瀬先輩はずっとお隣にいる。うぅ、岩永先輩とお話しする隙がない。
学園祭の準備が始まっても、二人は一緒。
私が岩永先輩を見ているからか、村瀬先輩とも目が合うようになった。その度になんだか勝ち誇ったような笑みを浮かべられる。それはその、なんだか、困る。
「カナメ、生きてるー?」
学祭直前のお昼時。友達の葵ちゃんが、私の目の前で手を振りながら尋ねてくる。
「うん、生きてる事は生きてるよ」
ご飯を口に運びながら答える私に葵ちゃんは「その割には元気なくなってるよ」と、呆れた様な顔をした。
「君が昔から岩永先輩見てたのは知ってるけどさ」
そのままレタスにフォークを突き刺す。
確かに私は昔から先輩を見てた。先輩は気づいていないみたいだったけど、小学校と中学校が同じなのだ。家は近くないから幼馴染とはいえない。初めて先輩を見たのは4年生。中学校にあがった先輩が先生達に制服を見せに来た時、私と葵ちゃんもたまたま職員室にいて。わぁ、制服ってかっこいいんだなぁ、なんて思ったりしたのが始まり。それ以来中学も高校も入れ替わりだったから諦めかけてたんだけど、大学に進学して思わぬところで再会した。学校もサークルも別に追っかけた訳じゃないので本当に驚いた。なんというかもう私としてはこれで十分、とか最初のうちは思っていた。
最初のうちだけ。うん。と心の中で頷く。
村瀬先輩のあの一言を聞いてから、どうも少しだけの安心感が崩れちゃったらしい。
「カナメー。先輩取られたらどうしよう、みたいな顔してるよ」
「!?」
葵ちゃん、カナメに痛恨の一撃。思わずもそもそと動かしていた箸を凍らせる。
「……ほら、泣きそうな顔しない」
「……そんな顔してた?」
「うん」
きっぱり頷いてお茶をすする葵ちゃん。湯飲みに口を付けたまま「そういえばさ」なんて目を向ける。
「付き合ってるって話さ、村瀬先輩しか言ってないよね。周りもみんな村瀬先輩からしか聞いてないって言ってるし」
「……ぇ?」
また箸が止まった。
「どうよ。怪しいと思わない?」
□ ■ □
学園祭当日。サークルの出し物のときも、さりげなくというか居て当然みたいな様子で岩永先輩の隣に居る村瀬先輩が、クラスの出し物で居なくなった事に気づいたのはお昼前。
「岩永先輩、お手伝いする事ないですか?」
葵ちゃんもクラスの手伝いで居ないけど、ちょっと勇気を出して声をかけてみた。久しぶりに声をかけた先輩は、いつもと変わらない顔で「この鍋見てくれる?」と仕事をくれた。
先輩が椅子に座って休んでる隣で、カレーの鍋をかき回す。なぜか私と先輩しか居ないテントの外は活気があって、いろんな人が通りかかる。学校の見物に来たのか制服の集団や、他のクラスの露天で買ったものをおいしそうに食べ歩く女の子。もちろん、カップルも居たりする。そんな人たちを眺めながら「晴れてよかったですね」なんて取り留めのない会話を時折交わす。
「そういえばさ」
パイプ椅子に座った先輩が後ろから話しかける。私は鍋をかき回しながら返事。
「水沢、小学校俺と一緒じゃなかった?」
先輩、水沢にダメージ50。思わず鍋底にお玉こすった。あぁ、カレーにおこげが混ざりませんよーに……。
「小学校、ですか?」
ぁぅ、声がぎこちない。それでも先輩は変わらず「うん。紅葉ヶ丘小」って話しかけてくる。
「はい、私も葵ちゃんも同じ学校、ですね……」
それには先輩驚いたみたいで「へぇ、渡辺もなんだ」なんて感嘆の返事。……って、ぇ。私だけですか、先輩が覚えてるの!?
先輩は私の動揺には気づかない様子で話を続ける。
「よかった、小学校同じならあってるかも。水沢さ、2年生のとき3組じゃなかったか?」
先輩、水沢にダメージ80。お玉が一瞬手から離れた。慌ててつかまえて、カレーに沈めるのだけは回避。
「……確かに、3組でした」
何でそこまで知ってるんですか、と聞く前に先輩もう一つ爆弾投下。
「で、誕生日は2月か3月」
「熱っ!?」
先輩、水沢にダメージ85。鍋に手が当たった。お玉と鍋ががしゃんとか音を立てる。……ぁぅ、そろそろダメそう。
「水沢、やけどしてない?」
いつの間にか後ろに立った先輩が、鍋に当たった手を掴む。瞬間、熱が上がった、気がした。
「ぁ……ぁの、大丈夫、です……」
外のざわめきと、テントの静けさ。腕をつかんだまま、先輩はそっと呟く。
「水沢さ、小学校のときもちょっとした事であわてて怪我してたな」
固まった。瞬間、浮かんだのは一つの光景。
出席番号のせいで葵ちゃんは列のずっと先のほうで。私は列の後ろのほうで。たまたま目の前に落ちてきた花びらに驚いて見事石に躓いて転んだという、あまり思い出したくないそれ。
でも。その時一緒に歩いていた5年生が、すぐに手を引いて起こしてくれた……?
「ぁ…」
思い出した。私が先輩と始めて会ったのは職員室なんかじゃなくて。小学校2年生の歓迎遠足。二人そろって出席番号後ろのほうで、足が遅い私にわざわざ合わせて歩いてくれて……。
「水沢が初めて手をつないだ相手」
掴んだ手にちょっとだけ力が入る。
「水沢をサークルで見た時驚いたよ。あの頃の面影そのまま残ってるから」
先輩の言葉で熱くなった頭で少しだけ現状を見る。鍋、ほったらかし。お玉は沈んでないけど危ないかも。
「せ、先輩っ、こんなところ村瀬先輩に見られたら……っ」
あわてて鍋に戻ろうとすると、岩永先輩は心底疑問そうな声を返してきた。
「村瀬?なんで?」
「ぇ、だって村瀬先輩と付き合ってるんじゃぁ……」
「は?俺が、村瀬と?」
確かに最近よく話しかけてくるけどな、なんて。テントを見上げて思い返す。
でもすぐに視線をこっちに戻して。
「俺は、水沢が好きだよ?」
□ ■ □
「で、村瀬先輩は何だったの?」
お昼時。お弁当のフォークをぴこぴこさせながら、葵ちゃんが口を開く。
「なんか、私が岩永先輩見てるのを気に入らなかった、みたい……」
もごもごと返事をして、ちらりと隣に目を向ける。その先には、
「女の勘ってすごいよな。俺、気づかなかったもん」
なんて。カレースプーンを口に運びながら相槌を打つ岩永先輩が居たりする。